「倶舎論」をめぐって

 IV
さて無論、櫻部博士は、『倶舎論』の価値を軽んじているわけではない。先の発言も、最後には、『倶舎論』を擁護していた。さらに、次のように、大いに、賞賛もしているのである。
 日本の仏教の長い歴史の中で、『倶舎論』は古くからずいぶんよく学習され、研究されたきた。少なくとも明治の初めの頃までは、それは仏教の基礎学であって、仏教教義を本当に知るにはまずそれを勉強する必要がある、という考え方が一つの常識としてあった。もっとも、なにしろ「唯識(ゆいしき)三年倶舎(さんねんくしゃ)八年(はちねん)」といわれたくらいだから、実際に『倶舎論』全巻を読破し、よく理解した人はそれほど多くはなかったのであろうが、いやしくも仏教の学問を本格的にやろうとする者はともかくこれを学ぶ要があると、ほぼ各宗派を通じて、認められていたといってよい。「聡明之論(そうめいのろん)ハ仏教之(の)礎(いしずえ)」」(山岡鐵(やまおかてつ)太郎(たろう))に他ならなかった(「聡明論」とは倶舎論の異名 )。もちろん『倶舎』が小乗の書であるという意識は強かったが「転(てん)小向(しょうこう)大ハ(だいは)閻(えん)浮(ぶ)洲(しゅう)」一化之通(いっかのつう)規(き)」(鵜飼(うかい)徹(てつ)定(じょう))であり「小乗ハ出世ノ初門、仏法ノ石(せき)礎(そ)ナリ。苟(いや)クモ仏教ヲ学バント欲セバ豈(あに)此(この)ノ石礎ニ依ラザル可ケンヤ」(佐伯旭雅)であった。ところが、日本に近代的な仏教研究が盛んになると、このような考え方は、いっとき、常識の座から退いた。そこでは、「部派仏教」の阿毘(あび)達磨(たつま)が「根本仏教」の生命を喪(うしな)わせた固陋(ころう)な教義学としてもっぱら否定的な評価を受ける中で、『倶舎論』も、しばしば、無用な小乗の“煩瑣(はんさ)哲学(てつがく)”の代表としてのみ取り扱われることとなった。しかし、最近のインド仏教の思想的研究の進展は、再び阿毘達磨の意義の新たな認識に向いつつある。阿毘達磨こそは「仏教哲学の最初の展開」(和辻(わつじ)哲郎(てつろう))であると見られるようになってきている。特に説一切有部の教義学が大乗仏教思想の形成発展の上に果たした大きな役割があらためて指摘されている。説一切有部阿毘達磨と大乗仏教中観学説と同唯識学説とは正・反・合の関係をなしているのではないか、というような理解(上山(うえやま)春(しゅん)平(ぺい))さえ生まれている。論師世親の遺(のこ)した巨大な思想的業績の中に『倶舎論』から『成業論(じょうごうろん)』へ、『成業論』から『唯識二十論』『三十頌(じゅ)』へという思想的展開の道筋をたどろうとする見方も広く受け入れられるようになった。…「わたしは仏教の勉強を『倶舎論』から始めた」とつねずね語っていられた故山口益先生に謹んで小著を献じたく思う。(桜部建『仏典講座18 倶舎論』昭和56年、pp.1-2)
今では、訂正を余儀なくさせる記述を含むとはいえ、一大の碩学山口益博士の言で締めくくられた、「『倶舎論』への賛辞」は、傾聴(けいちょう)に値するものであろう。ここで、今少し、『倶舎論』が後代のインド仏教理解の布石になることの確認をしておこう。『倶舎論』は、一般的に、説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)(sarva-asti-vada,サルヴァ・アスティ・ヴァーダ)の教理を中心的に論ずる書である。この奇妙な学派名の由来となったのは、「三世(さんぜ)実(じつ)有論(うろん)」という時間論である。
簡単にいうと、「過去・未来のものも現在のものと同様に存在する」という、一見、非常識な時間論ではある。しかし、「過去の大事な思い出」や「未来の熱烈なイメージ」が現在のものと遜色(そんしょく)なく、ありありと実感される経験は、誰しもが持っているだろう。「三世実有論」は、それの宗教版なのである。知ってみると、意外におかしくない時間論だと思われる。
ところが、この時間論の宗教的価値を全く顧みないで、ただ、現実的に、その存在性を批判していったのが、反説一切有部勢力、言い換えると、大乗仏教を育んだグループなのである。今日の日本仏教のほとんどは、大乗仏教に信仰の基盤を置いている。そんな風潮の中では、初めから、小乗仏教の1派である説一切有部の説などは、見向きもされない。そのような懸念は、実は、相当に古くからなされていた。例えば、昭和の初期に、以下のように述べる学者もいたのである。
 それは兎に角、ここに有部に就(つ)いて最も考慮を払うべきは、有部の三世実有の教義は、古来多くの学者が、近視眼的に教界(きょうかい)趨勢(すうせい)の帰結たる大乗経成立のそれに幻惑(げんわく)せられ、有部の所説はただ一口に浅薄(せんぱく)のものとのみ心得、忠実にこの三世実有説を深察せぬ怨みがあることである。(佐伯良謙「有部の三世実有、法体恒有説と體滅用滅伝に就いて」『大正大学学報』8,昭和5年、p.85)
                   


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