Tips of Buddhism

No.12
During the early Tang dynasty,between 629-645,the monk Xuanzang journeyed to India and visited over one handred kingdoms,and wrote extensive and detailed reports of his findings,which have subsequently become important for the study of India during this period.During his travels he visited holy sites,learned the lore of his faith,and studied with many famous Buddhis masters,especilally at famous center of Buddhist
learning atNaranda University….His strongest personal interest in Buddhism was in the field of Yogacara,or”Conscousuness-only”.(hints,Tang唐、Xuanzang玄奘、Naranda ナーランダ、Yogacara瑜伽行)(from Wikipedia Chinese Buddhism,2016/05/15)

(訳)
初唐中、629年―645年に、玄奘(げんじょう)という僧が、インド(天竺(てんじく))に旅し、100余りの王国を訪れた。そしてその知見について広く詳細な記録を著した。それは、後に、この時代のインド研究にとって、飛び切りのものとなった。旅行中、彼は聖地を訪ね、信仰の言い伝
えを聞き、多くの著名なる僧とともに学んだ。分けても、名高い仏教学習の中心、ナーランダ僧院で〔学んだのである〕。…彼の最大の関心事は、「瑜伽(ゆぎゃ)行(ぎょう)」つまり「唯識」だった。
(解説)
Wikipediaから取った。玄奘(602-664)は、『西遊記(さいゆうき)』の三蔵法師(さんぞうほうし)のモデルとなった実在の僧である。彼の著した記録とは、『大(だい)唐(とう)西域記(さいいきき)』のことで、地理・歴史・思想等あらゆる分野に貴重な情報をもたらしている。玄奘が訪れたナーランダ僧院は、英語ではNaranda Universityとあり、確かに今の大学に相当する。各地から仏教の俊英(しゅんえい)が集い、隆盛(りゅうせい)を極めた。玄奘は、そこで、最先端の仏教学を学び、中国に持ち帰ったのである。興味の中心は、
英文にある通り「瑜伽(ゆが)行(ぎょう)」だった。これは、ヨーガの音写語である。つまり「ヨーガをもっぱら修業する」ことを言う。それが何故英訳では、’Consciousness-only’「唯識(ゆいしき)」とされているのだろうか?実は、瑜伽行の思想内容が「唯識」だからである。「唯識」とは「物質
等のすべてを心が作り出す」という心(しん)一元論(いちげんろん)を指す。ただ誤解してしまっては困るのだが、玄奘以前にも、中国にだって「瑜伽行」はあった。しかも非常な人気であった。しかしながら、肝心(かんじん)な事が未解決の状態だった。そこで、インドに渡って、本場の「瑜伽行」を学んでこようとしたのが、他ならぬ玄奘である。彼が旅立つ前の様子を描写(びょうしゃ)した文章を引用してみよう。
 長安(ちょうあん)の、当時〔流行していた〕〈無(む)着(ちゃく)作の唯識論書〉『摂(しょう)大乗論(だいじょうろん)』に関して最も権威あると思われた二大徳(だいとく)にしてこの有様であった。最早(もはや)、『摂大乗論』のまわりをいくらぐるぐるめぐってみても始まらぬ。どんなに気のきいた折衷(せっちゅう)的解釈も、所詮(しょせん)は一つの解釈にすぎない。残された道はただ一つ、翻訳の背後に隠された唯一つの原典、それを求めるほかはない。玄奘のつきつめた気持ちはそういう一点に凝集していったにちがいないのである。…この間の事情を、〈玄奘の伝記〉『慈(じ)恩(おん)伝』は、…次のように述べている。
 玄奘はこれまでも、あちこちでいろんな法師に見(まみ)え、ことごとくその説を玩味(がんみ)し、詳細(しょうさい)にその道理を検討してみたが、それぞれが自分のよっている根本的立場を至上(しじょう)なものとしており、これを仏典に検索しても、陰に(いんに)陽(よう)に微妙に異なっていて、なにをたよりにすればよいか知りようもない。そこでインドに赴(おもむ)いて疑わしく思う点を問い質(ただ)し、同時に『十七地論(じゅうしちじろん)』〈=唯識派の根本聖典『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』の古い漢訳名〉を求めてさまざまな疑いをはらしたいと心に誓(ちか)った。〔こうして将来されたものが〕現在の『瑜伽師地論』にほかならない。(袴谷憲昭「仏教史の中の玄奘」、桑山正進・袴谷憲昭『玄奘』1981,p.193、ルビ私)


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