新チベット仏教史―自己流ー

その3
I-a-1「〔毘婆沙師の〕語源的解説」では、部派名の由来が示されます。次のように言います。
  典籍は『(「)毘婆沙論(びばしゃろん)海(かい)』(Bye brag bshad mtsho)〔=『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』、Mahavibhasa,Bye brag bshad chen po〕に準じ、内容の説き方は、実体(rdzas)の区別を多く論じる。〔その〕両者を通じて、毘婆沙師〔=区別論者〕と命名された。(ホプキンス本p.208に英訳あり)
各論中のI-a-3-2-1ここでは、「毘婆沙師と「聖典に準じる経量部」は『倶舎論』と一致す
る二諦説を説きますが、「論理に準じる経量部」はそれと異なる」と指摘されます。後者は、ダルマキールティの『量評釈』に準じます。二諦は、チベットの毘婆沙師研究においても、重要な問題であったことは、もうご存じでしょう。さらに、二諦に関して、こうも述べています。
 翻訳官シェルリン(sher rin)は、「〔毘婆沙師と経量部の〕2部による勝義の主張の仕方は全く同じである」というし、 ある者は「〔毘婆沙師と経量部の〕2部によって、二諦の主張の仕方は全く矛盾している」ということも、不適当である。なぜなら、〔ツォンカパの弟子〕ケードゥプ一切智者の『7部難所(なんしょ)解(かい)』の如く、聖典〔に準じる〕経量部(lung gi mdo sde pa)と毘婆沙師の2つは『倶舎論』のように主張するが、論理に準じる経量部(rigs pa’i rjes ‘brang gi mdo sde pa)のそのようではない〔主張の〕仕方を後に説明するからである。
いささか難しい記述を読んでもらいました。『学説綱要書』の雰囲気を感じてもらえばよいと思います。

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