仏教余話

その123
原担山の講義の様子を生々しく伝える記述もあるので、引用しておこう。はじめに、漱石を論じた、今西順吉博士の論文から、紹介しておく。
 原担山が講師として明治十二年から仏書講読を担当することになった。仏書講読という授業科目は哲学科に所属するのではなくて、和漢文学科に属するものであり、しかも随意聴講科目であった。今日の概念でいえば共通科目の相当するものであろう。この講義は法理文学部総理加藤弘之の委嘱によるものであった。加藤の言を井上が記録している。「どうも仏教にも哲学があるようだから、大学においても仏教を講じてもらったらどうだろうか。」それを聞いて学生達は聴講の希望を述べ、実現することになった。「仏教にも哲学があるようだから」という加藤の言は注意してよい。すなわち、信仰ではなくて、哲学・哲理に着目している点である。最初の講義で用いたのは『大乗起信論』であったが、そのテキストは担山が『起信論』の要点を旧訳・新訳を勘案してまとめたものであった。そして講義には学生のみならず、加藤総理はもとより外山正一教授なども席に列った。さらに大学以外からも〔文部省の〕西村茂樹博士まで来聴したという。井上は続けて言う。「兎に角、廃仏毀釈の後を受けて仏教の形勢が甚だ振はなかった時代に、大学で仏典を講じたことは、歴史上注目すべきことである。自分が初めて大乗仏教の哲学に興味を覚へたのはこの時であるが、他にも自分と同様に影響を受けたものが尠くなかったであろうと推察される。」(今西順吉「井上哲次郎の開拓者的意義」『印度学仏教学研究』49-2,平成13年,pp.528-529,〔 〕内は私の補足)
何となく、時代の雰囲気を感じ取れる文章である。ここに、登場した井上とは、井上哲次郎がフルネームで、原担山と並んで、我が国のインド思想・インド仏教のパイオニア的存在である。漱石に与えた影響からすれば、井上哲次郎のインド思想講義は、実に甚大なものがあった。そのことは、また、後に、触れることにしよう。


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