「倶舎論」をめぐって

出来るだけ、短めにお伝えし、便をはかるつもりです。
1.アビダルマ思想史
              I
日本人として触れる仏教は、主に、道元や日蓮(にちれん)・親鸞(しんらん)の仏教であろう。それらの仏教に対するイメージは、葬式・お盆などの儀礼から生まれたものが多い。その仏教と、今、扱おうとしているアビダルマとは、同じ仏教とはいいながら、全く、異質なものである。常識的に理解していることと思うが、日本仏教の生みの親は、中国仏教である。そこにも伝統的哲学であるアビダルマは、伝来(でんらい)していた。しかし、アビダルマの中核(ちゅうかく)となっていく「仏教論理学」(=因明)に相当するようなものは未発達であった。ところが、仏教誕生の地、インドでは、「仏教論理学」は、隆盛(りゅうせい)を極めていたのである。では、一体どのような仏教なのだろうか?名前から推測すると、やたらと理屈っぽい、面倒な仏教のように思われる。事実、そういう面があることは、否定出来ない。ただよく考えてみて欲しい。仏教では、よく「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」「一切(いっさい)無我(むが)」などというが、このスローガンは、実際のところ正しいのだろうか?仏教に懐疑的(かいぎてき)な目を向ける人に、「諸行無常」を証明してみせてくれ、と迫られた時、仏教徒ならどうするだろう。日本の僧侶なら、修行が進めばわかる、とでもいって、お茶を濁すかもしれない。だが、昔のインドでは、そう簡単にはいかなかった。反仏教を標榜(ひょうぼう)する人々が、うようよ いたからである。相(あい)対立(たいりつ)する宗教が、互いの主張を譲らなかったのである。そんな状況では、お互いの信ずることを連呼(れんこ)するしかない。さすがに、それではまずい、ということになった。そこで、お互いに、議論し合える、共通の土台が誕生する。それを「インド論理学」と考えてもらいたい。つまり、勝手な言い分が通用しないような開かれた議論、それを行うのが、「インド論理学」なのである。「仏教論理学」は、そのヴァリエーションの1つである。それどころか、当時のインド思想界において、仏教は、論理学的場面では、他をリードしていた。この分野で、著名な学僧は2人いる。1人は、5世紀頃の学僧、ディグナーガ(Dignaga)、もう1人は、6世紀頃の学僧ダルマキールティ(Dharmakirti)である。彼等2人の思想的系譜(けいふ)につながる仏教が、「仏教論理学」だと理解してもらえばよい。この2人は、ビッグネームであるだけに、名前だけは、中国にも伝わっている。順に、陳那(じんな)、法称(ほっしょう)と漢訳された。しかし、残念なことに伝わったのは名前だけだ。ディグナーガの著作は、1つ2つ、漢訳されたのみ、ダルマキールティにいたっては、1つも漢訳されなかった。インドでは、ダルマキールティ無しでは、6世紀以降の仏教は成り立たない。それに反し、中国や日本では、ダルマキールティがいなくとも、何の不自由もない。不思議に思うかもしれないが、それほど、日本・中国の仏教とインド仏教とは、違うものになってしまったのである。だから、「仏教論理学」と聞いて、ピントこない日本人がいても、おかしなことではない。この授業で扱うのは、日本仏教とは、全く、異なった「仏教論理学」に関わることである。ただ、それを、従来とは、やや違ったアレンジで見てみたいと、考えている。皆さんも耳にしたことはあるだろうが、インド人は、概して、数学的なことが得意で、理屈が好きである。それは昔も今も変わらない。昔のインド人達も、大層、理屈っぽくて、仏教の修行においても、その理屈好きは維持(いじ)されていた。お釈迦さん自体が、理屈を好んだ節もあるのだ。そうして、それの到達点(とうたつてん)が「仏教論理学」だといってもよいだろう。ただ、この仏教は、かなり難しい。研究が始まって、もうかれこれ、150年ほど経つが、さっぱり、肝心のことは、わからない。私の経験からしても、ひどく複雑な分野だという印象が強い。だが、先にも述べたように、インド仏教の花形的存在であることは、間違いないのである。

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