新チベット仏教史―自己流ー

その8
唯識の専門家が、アーラヤ識と無意識について、最近提示した論文を紹介しておきましょう。佐久間秀範氏は、こういう疑問から始めています。
 唯識思想というとアーラヤ識をまず思いうかべるのではないだろうか。そしてそのアーラヤ識とはどのようなものかというと、無意識、あるいは無意識の領域に属するものと考えることが、ある程度一般化しているのではないだろうか。この「無意識」という言葉を使うことで多くは西洋の心理学、その中でもフロイトやユングの心理学と重ね合わせて唯識思想を何気なく理解しようとしていないだろうか。西洋の学問体系の中で「無意識」という概念が受け入れられるまでには、かなりの時間を要した訳であるし、「物理的な正確さ」を暗黙のうちに求める西洋の学問の枠の中では、フロイトやユングの理論体系が必ずしも学問として高く評価されているとは言い切れない事情を、日本人はどのくらい認識しているのか疑問な点も多い。(佐久間秀範「個人的無意識とbhagavanvinnana-深層心理とアーラヤ識の狭間でー」『佛経文化学会十周年 北條賢三博士古希記念論文集 インド学諸思想とその周辺』2004年、p.75)
佐久間氏は、このように通念化したアーラヤ識と無意識の関係に懐疑の目を向けます。


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