Tips of Buddhism

No.51
It is generally accepted that Yogacara philosophy was systematized into a dogmatic System by Asanga’s Mahayanasamgraha and Vasubandhu’s Trimsika.This system starts from the idea of consiousness-only(vijnaptimatra)and is developed using the concepts of alayavijnana and three self-natures(trisvabhava).(兵藤一夫『初期唯識思想の研究―唯識無境と三性説―』2010,summary,p.481)(hints yogacara瑜伽行、Asanga無着,Mahayanasamgaraha『摂大乗論』,Vasubandhu世親,Trimsika『唯識三十
頌』,alayavijnana阿頼耶識)
 
(訳)
瑜伽(ゆが)行(ぎょう)哲学は、無(む)着(ちゃく)の『摂(しょう)大乗論(だいじょうろん)』と世親の『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』によって、教義体系が、整備されたと、一般的に、認められている。この体系は、「心のみ(唯識(ゆいしき))」という考えから、始まり、阿頼耶(あらや)識(しき)と三性(さんしょう)という概念を使って、発展した。
 
(解説)
英文は、巻末に付した、「英文要約」からの抜粋(ばっすい)である。極めて、平易な文だと思われるが、仏教の知識がないと内容は、把握出来ない。先ず、無着・世親とは、インド学僧の漢訳名である。2人は、異母兄弟であったと伝えられている。瑜伽行、即ち、唯識という大乗仏教の創始者である。瑜伽行とは、ヨーガ(yoga)の漢訳で、瞑想実習を意味する。今流行の
体操的なものではない。その瞑想体験の中から、生み出されたのが、「唯識」つまり、「すべては心から生じる」という教義である。
無着・世親の教えは、中国では、三蔵法師(さんぞうほうし)として名高い、玄奘(げんじょう)が広めた。その宗派を、通例、「法相宗(ほっそうしゅう)」という。日本では、興福寺(こうふくじ)等が、法相宗で、無着・世親の木像もあり、国宝とされている。
「阿羅耶(あらや)識(しき)」とは、alaya-vijnana(アーラヤ・ヴィジュニャーナ)の音写語で、ヴィジュニャーナ「識」つまり認識作用を示す。アーラヤはサンスクリット語で、「貯蔵庫」等を意味する。ヒマラヤはヒマ+アーラヤから成る言葉で、ヒマは「雪」なので、ヒマラヤは「雪の貯蔵庫」を言う。昔は、ヒマラヤのことを「雪蔵(せつぞう)」と読んだ。ちなみに、チベット語ではkun gzhi(クンシ)と言う。「すべての根源」という意味である。通常の意識の底にある、根源的意識のことで、概説書では、欧米の心理学者ユングの「無意識」に比せられることが多い。しかし、唯識に関心をしめした森鴎外など、ドイツ滞在中、ハルトマン(E.v.Hartmann、1842-1906)という哲学者の影響を受け、ハルトマンの『無意識の哲学』Philosophie des Unbewasstenを読んでいるので、ユングの影響のもとに唯識に目を向けたのではないであろう。
「三性」とは唯識の世界観を示すものである。そこでは、「悟りの世界」、「ニュートラルな世界」、「煩悩の世界」の3つに分類される。それぞれに、仏教用語はあるが、今は、述べないでおこう。ニュートラルの世界を経由して、煩悩から悟りに至るという教えを説いている。
 また、『摂大乗論』『唯識三十頌』には、詳しい和訳もあるので、興味のある方は、簡単に披(ひ)見(けん)出来る。
 前に世親は『倶舎論(くしゃろん)』の作者であると紹介した。『倶舎論』は主に、小乗仏教の教理を説くものであるのに対し、『唯識三十頌』は大乗仏教の教理を説く。これを世親の思想的変化と捉えることも出来るが、少し前には、世親2人説等が学界を席巻(せっけん)したこともある。2人説
は、オーストリアの世界的学者、フラウワルナーが提唱したもので、影響力も強く、多くの賛同者を得たが現在では否定されている。定説には疑いの目を向けるべきべきだ。


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