仏教余話

その228
難しい説明に入る前に、昔の『倶舎論』学者の優雅な研究の日々を紹介しておこう。船橋水哉博士は、日本に古くから残る、伝統的な『倶舎論』研究の大御所である。博士の書物に、随筆めいた研究記録がある。題して「倶舎を漁る記」という。16ページに亙り(pp.253-269)面白い記述が展開されている。少し、長く引用して、来るべき『倶舎論』解説の布石としよう。
 相変わらず倶舎の研究に従事して居るが、しかし久しぶりで京都へ来て見ると、存外まだ研究漏れの分が沢山にある。本屋へ行って見ても、眼新しき書物を漁ることが出来る。各宗大学の図書館や、各宗本山へ行って見ても、往々珍らしきものにぶつかることがある。今少しく努力したら、仲々面白い結果を得るであろうと思うて、前途に希望の光明を認めて追日こつゝと其方針に進んで居る。昨年末であった試験前の休日を利用して、一日東山の北部へと出掛けた。電車はインクラインで下りて、それから先づ永観堂の学林へ行って見た。…永観堂には、実は書物は沢山にない、ことに倶舎のものと来ては何もなかった。但一寸面白いと思ったのは、禅林寺の古い目録があって、其には明和三年丙戌〔ヒノエイヌ〕としてある。此中に左の二部が記してある。
  倶舎論頌疏弁十三巻
  金毛倶舎論四巻
 …次には鹿ケ谷の宗教大学分校を訪問したが、こゝでも親切に種々の図書を見せて呉れた。其中で、
  法宗原私記四巻    龍謙
  七十五法図解     恵隆
  倶舎論本義鈔抜粋五巻 宗性
 其他快道の論文数種があって、多少参考になることもあった。それから北隣の法然院へ行った。こゝには珍書が仲々沢山あるが、しかし私に関係した倶舎の方は一向にないので、聊か落胆して遂に岐路に就いた。鈞息義城師は、浄土宗に於ける倶舎の学者であるから、序手〔ツイデ〕を以て訪問し様と思ったが、電気灯がボツゝつきかけて来たノで、此日は遂に見合せて仕舞った。十二月十三日、私は此日を面白く暮したことであった。(船橋水哉「倶舎を漁る記」『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年所収、pp.254-257,〔 〕内私の補足、1部現代語表記に改めた)
好事家が、骨董を物色しているように、『倶舎論』関係の稀覯書を漁っている。優雅な日々といえなくもない。

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