「倶舎論」をめぐって

XXIV
最近、目にした船山徹氏の論文では、以下のように論じられていた。
「本」「迹」の対は「体」「用」よりも早く成立している。…体用思想の成立については、平井(一九七六:一三○―九頁)(一九七九:六二―四頁)とそれを承ける仏教研究者は、体用の起源を同じ僧肇にもとめ、体用と本迹を区別せずに、等しい内容の事柄であるとして論じる傾向がある。…体用は、仏陀の身体やそのあり方を論じる文脈ではなく、凡夫の迷える状態(偽)から悟り(真、成仏)に至るまでの精神主体(神明)とその具体的・現象的なはたらきの相即的関係を論ずる文脈―広義の神不滅論―において使用され始めた可能性が考えられるからである。(船山徹「体用小考」『六朝随唐精神史の研究』平成17年、pp.130-132,旧漢字を新漢字に改めた)
以上で、古き論争の紹介を終えよう。
さて、冠導本を範として、出版されたのが、平川彰 編、小林圓照・沖本克己・藤田正弘『真諦譯對校 阿毘達磨倶舎論』1998-2001である。本書は、サンスクリット原典、チベット語訳の対応箇所等も提示し、中国の代表的注釈書も紹介する極めて便利な本である。しかし、私の知る限りでは3巻までしか刊行されていない。以下に、編集者の弁を適宜紹介しよう。第1巻の平川彰博士の「はしがき」には、こうある。
 本書は倶舎論の研究をこころざす人のために編集したテキストである。編集に際して佐伯旭雅師の『冠導阿毘達磨倶舎論』三十巻を範とした。…一番上の段には、眞諦訳の『倶舎釈論』の本文の全体を入れることにした。これによって眞諦訳の文章と玄奘訳の文章とを、比較して研究することを可能にした。両者を比較して読むことは、倶舎論の研究に必要なことであると思うが、これまでこの点について厳密な比較研究を行った研究は見当たらない。これまでは玄奘訳と眞諦訳との偈頌の比較がなされているにすぎないが、本書によって、倶舎論の新旧二訳の比較研究が進むことを期待したい。…次にテキストの中段について一言すると、これは普光の『倶舎論記』三十巻から、倶舎論本文の理解に役立つ文章を抜粋したものである。…倶舎論の註釈はいろいろあるが、それらの中で最も尊重されているものは、普光の『倶舎論記』である。…『倶舎論記』から、倶舎論ん理解に重要と思われる註釈を抜粋して示すこととした。『倶舎論記』は三十巻の大きな書物であり、しかも内容もかなり難解であるから、初学者が直ちに理解することは容易ではない。この中段には『倶舎論記』から重要な文句を取り出して示したから、初学者の倶舎論理解に役立つと信ずる。なお中段には、左辺に倶舎に用いられている重要な梵語を挙げておいた。倶舎論の原典は梵語で書かれているから、重要な語句の梵語を知ることは、倶舎論研究者にとって有意義であると信ずる。(平川彰 編、小林圓照・沖本克己・藤田正弘『真諦譯對校 阿毘達磨倶舎論』第1巻、1998,pp.vi-ix)
初学者に配慮した勝れた出版物であることが伺える。さらに、玄奘訳と真諦訳の比較という重要な課題を見据えていることが注目される。第2巻目において、平川博士は、一層の研究態勢充実を目指し、こう述べている。
 また最近の電子テキストの発展は目覚しく、大部の『阿毘達磨大毘婆沙論』のテキストデータベースも長崎大学の早島理教授によってインターネット上に公開せられている、今回は間に合わなかったがこれも次巻以降で大いに利用させていただきたいと思うし読者にもその利用を勧めたい。…また巻末には本分冊に含まれる倶舎論玄奘訳本文の一字索引を附しておいた。既に沖本氏による玄奘真諦両訳倶舎論の電子テキストも公開せられているから要らずもがなのようであるが、一冊のうちに文字資料として納めておくことはそれなりの意義があると信ずる。(平川彰 編、小林圓照・沖本克己・藤田正弘『真諦譯對校 阿毘達磨倶舎論』第2巻、1999,p.i)
また、3巻目において、博士は、電子テキスト流行りの風潮に釘を刺すことも忘れない。
 これらのツールを利用することによって、関連部分の検索や参照は容易になり、画期的な研究の進展も期待せられるが、しかし一方において伝統的な仏教学が培ってきた方法や丁寧な読解の必要性も却って高まってきていると思う。(平川彰 編、小林圓照・沖本克己・藤田正弘『真諦譯對校 阿毘達磨倶舎論』第3巻、2001,pp.i-ii)
残念ながら、この企画は3巻目で頓挫しているようである。

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