仏教余話

その3
今西博士の解説から知られるように、夏目漱石の作品には、仏教的素養から来る遊びが、いたるところに、ちりばめられているのである。ところで、沙弥とは、見習い僧のことである。インドでは、その沙弥になる手順がある。それについて、佐々木閑博士の面白い説明がある。
 沙弥出家を希望する者は、まず僧団へ行って自分の和尚(upajjihaya)になってくれる比丘を探さなくてはならない。和尚という言葉は現在の日本でも用いられているが本当の意味は失われてしまっている。和尚とは僧団生活全般にわたって弟子の指導に当たる教育者のことである。(佐々木閑『出家とはなにか』1999,pp.62-63)
また、佐々木博士は、僧の規則を定めた律の中から、沙弥の規制を、示している。日本と比べると、同じ沙弥でも、彼我の違いがわかって、興味深い。
 沙弥となって出家生活に入るためには年齢制限がある。十五歳以上の者しか沙弥にはなれないとされているのである。この規定が作られた背景には次のような出来事があったと律には書かれている。ある時、身寄りのない父子が出家し、そろって乞食にでかけた。しかし自分達が出家修行者になったという現状が理解できない子供は、父親のまとわりついて父のもらった施食をねだり、それを見た人々が「あの子は比丘と比丘尼の間にできた子だ。仏教修行者は非梵行者(性行為を行う者)だ」と非難したという。この出来事をきっかけとして十五歳以下の子供の沙弥出家が禁じられた。すなわち出家者としての自覚ができないような幼い子供は、僧団の社会的信用を失わせるおそれがあるために入団を拒否されるのである。(佐々木閑『出家とはなにか』1999,p.61)


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