仏教余話

その129
近代中国の仏教研究者の著名な人物との出会いもあったようである。末木文美士氏は、この辺りの消息をこう伝えている。
 仏教界の改革へ向けての最初の記念すべきできごとは、楊文会(仁山、一八三七―一九一一)による金陵刻経処の設立(一八六六)であった。中国近代の仏教者で、楊文会の影響を受けなかったものはないといって過言ではない。…楊文会は、大病のときに『大乗起信論』に触れたのがきっかけで仏教研究に入った。(末木文美士『近代日本と仏教 近代日本の思想・再考II』2004,p.263)
また、石井公成氏は、『大乗起信論』を巡っての中国仏教の動向を、次のように伝える。
 中国では、楊文会(1837-1911)が『起信論』を拠り所の1つとして中国仏教の近代化をはかっていたため、この論争〔インド撰述か、中国撰述か〕が中国に飛び火すると、『起信論』重視派と『起信論』を否定する唯識重視派との間で近代中国仏教そのものに関わる激烈な論争が生じ、以後も議論が続いている。(石井公成「南北朝時代の仏教」『中国仏教研究入門』2006所収、p.124、〔 〕内私の補足)
さらに、日本の代表的学者の1人である、長尾雅人博士は、こう述べている。
 もともと学生の頃は、『大乗起信論』に多分に魅力を感じていた。しかしいざそれを卒業論文のテーマにしようとすると、唯識学の素養がなくてはどうにもならないことに気がついた。(長尾雅人『中観と唯識』1978,はしがきp.v)


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