仏教余話

その10
また、大拙の初期の著書を巡る状況も、述べておいた方がよいだろ
う。その著書を邦訳した佐々木閑氏は、訳者後記で、こう綴っている。
 〔米国滞在中の〕その集大成ともいうべきものが、大乗仏教の真の思想を正しく西洋世界に知らしめることを目的として書かれた本書『大乗仏教概論』(Outline of Mhayana Buddhism)だったのである。(一九○七年出版)この本は、鈴木が自分の言葉で、大乗仏教の真の意義と、その理想を誇り高く主張したものであり、完璧ともいうべき美文とあいまって、その後の西欧社会に強い影響を与えることとなった。いわば鈴木大拙という思想家のデビュー作である。…堂々たる大著である。ではなぜ、これほどの著作が、今まで日本語に翻訳されなかったのであろうか。実は、これにははっきりした理由がある。鈴木自身がこの本を封印してしまいたいと考えていて、日本語訳はおろか、英語原本の再版さえ許可しようとはしなかったのである。…鈴木が本書の再版を嫌った理由は、その内容の未熟さにあるという。…本書に対して非常に厳しい批判を加えたベルギーの仏教学者ルイ・ド・ラ・ヴァレー・プサンの書評が、本書の問題点をきわめて明確に示しているのである。…冒頭でプサンは、仏教など古代インドの思想を研究する場合に、その哲学原理の内容に深く関わりすぎ、それを現代の思考形態で無理に解釈しようとすることの危険性を強く警告する。…そして、その意味から、鈴木の『大乗仏教概論』は厳しく批判されるべきものだという。…鈴木が語る大乗仏教というものは、ヒンドゥー教を代表するヴェーダーンタ哲学や、ドイツ哲学に染まったものだというのである。…鈴木が大乗仏教であると主張している思想を、実際には絶対に大乗仏教のものではないといって否定することはできない。多様な大乗思想の中には、鈴木が主張するような思想があった可能性も残るからである。しかし問題は、鈴木が大乗仏教の多様性を真剣に考慮せず、あたかも自分が主張する特異な汎神論を、真の大乗仏教であるかのように言い立てるところにある。彼の言う大乗仏教は、実際には仏教というより、ヴェーダーンタあるいはヘーゲル哲学に近いものである。…確かに大乗は時代の流れの中で次第にヒンドゥー教に吸収されていくのであるが、それでもそこには大乗固有の特性というものは厳として存在するのであり、大乗仏教をヴェーダーンタと同一視することなど許されるはずがない。ところが鈴木は、両者を完全に混同している。…鈴木のこの本を総括してみれば、そこにはタントリズムの原理を認める日本真言宗の視点が影響しているようである。その主たる教義は、「我々は誰もが本来は仏陀であって、神秘呪術的プロセスを通ることで、容易にその仏性を悟ることができる」というものである。鈴木が各所で引用してくる文章も、多くはこの教義に沿ったタントリックなものである。以上がプサンによる批判の概要である。(佐々木閑訳 鈴木大拙著『大乗仏教概論』2004,pp.422-429)
多くの問題を含んだ佐々木氏の後記は、これからの考察を通じて、段々理解出来るようになっていくであろう。ともかく漱石の禅の師である宗演を取り巻く状況はなかなかに面白いのである。その面白さはそのまま明治という時代の面白さでもある。

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