世親とサーンキヤ

1、『真理綱要』及び「難語釈」におけるサーンキヤ思想―その問題点―   
その1     
『真理綱要』&「難語釈」には、3章で、サーンキヤ説が扱われている。第1章「自性の考察prakrti-pariksa、第7章第3説「カピラ教の想定する我の考察」kapilaparikalpitatma-pariksa,第3章〔自性と自在神〕両方の考察ubhaya-pariksaである。全部に日本語による訳注研究があって、研究の便はよい。本田惠氏は、その訳注に際し、以下のようにまとめている。
 シャーンタラクシタ(Santaraksita,SantirakusitaA.D.ca.680-740)の著、真理綱要(Tattvasamgaraha)、及び彼の弟子カマラシーラ(Kamalasila A.D.ca.700-750)の註釈(Panjika)は、当時の殆どあらゆる哲学説を紹介しているが、それが正確適切である為、 インド思想を研究する上で極めて貴重な資料である。この書で、サーンキヤ思想 を主題として論じているのは、次の三章である。
(一)原質の考察Prakrti-pariksa第一章
(二)カピラの徒の想定する我の考察Kapila-kalpita-‘tma-pariksa
(三)両元の考察Ubhaya-pariksa第三章
これらのうち、(一)は主として因中有果(sat-karya)の論証と、それに附随して万物の根源たる原質(prakrti)の存在論証を紹介論駁し、(二)は精神原理たる人我(purusa)が他学派の我(atman)にあたるとして、その存在を攻撃したものである。以上の二章は、所謂古典サーンキヤ説にあたるものを紹介している為、イースヴァラクリシャナのサーンキヤ頌を縷々引用している。(一)の中。サーンキヤ頌三・九・一○・一一・一五(2度)・一六a・二二(二)の中。サーンキヤ頌二一・五七 即ち合計八頌と四分の一に達するわけである。この二章の説が無神サーンキヤ(nirisvara-Samkhya)説であるのに対して、(三)は原質と主宰神(isvara)との両者が世界原因であるとする有神サーンキヤ(sesvara-Samkhya)説が紹介されている。この事は極めて興味深く、有神サーンキヤを説くまとまった文献が伝わっていない現在では、貴重な資料と云わねばならない。…さて、真理綱要のサーンキヤ説は、このように古典サーンキヤと異なった面も紹介言及しているが、サーンキヤ頌を多く引用している点からも明らかなように、主としてサーンキヤ頌及びその註釈に依って学説を紹介していると考えてよいであろう。通常インドでは、ヴァーチャスパティミシュラのものが代表説とされているようであるが、この真理綱要では、寧ろ、金七十論・ガウダパーダ・マータラの三古註の説が用いられているようである。(本田惠『サーンキヤ哲学研究』上、昭和55年、pp.210-212)
実は、本田氏の前に、『真理綱要』におけるサーンキヤ説に関しては、指摘がある。かなり古い論文であるが触れておこう。
 寡聞なる余の知る範圍では事實頌を引用するものは佛典のTattvasangarahaの註釋書たる七・八世紀頃のPanjika及び商羯羅〔シャンカラ、Sankara〕 の梵語註、ラーマヌジャの聖註やそれ以後のものである。(山本快龍「自在黑年代論」『常盤博士還暦記念 佛敎論叢』,1933,p531,〔 〕内私の補足)
山本快龍氏は、p.533の注(33)でG.O.S版の個所を特定さえしている。

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