「倶舎論」をめぐって

CXVIII
だが、先ほどの舟橋博士の解説に比すと、ラフな感じは否めない。
舟橋博士は、世親の立場に関する伝統説を5つに整理した。そのような整理の姿勢は、今井氏にはない。ただ、結論の不透明感は同じである。舟橋博士は、世親を説一切有部とする見解に軍配を上げたものの、「〔『倶舎論』の目的は〕有部の教義を根底から改善せねばならぬといふ所にあつたから、其時代の所謂正統派有部からは、或は異端視されたのも無理はない」などと述べている。そして、世親を経量部とすることはしない。その点、まだ、
今井氏の方が筋が通っている。今井氏は、「倶舎論の著者世親菩薩は決して有部宗の説のみに拘泥したものではなく、却って大に経部(経部は上座部の分派なれども大に大衆部の説を取る所あり)の説に取る所があって、自ら理長為宗と号し、両者の長所を取て之を折衷せんとしたものである。」といい、世親が経量部に属していた可能性を示唆する。もっとも、前に述べたように、現在でも、経量部の正体は謎なのであるから、舟橋博士説が慎重論な
のかもしれない。とにかく、昔の両学者に共通するのは、「世親は『倶舎論』著作の時点で、既に、唯識であった」という認識が、全くないことである。ここが、伝統倶舎学と近代『倶舎論』研究の最大の相違であろう。今井氏の書には、さすが禅宗の人の解説と思われる個所もある。以下に引用してみよう。
 〔『倶舎論』の目的は無我・涅槃であるが〕この無我論に対する外道の有我論に就て一言するならば、外道は必ずしも有我論を説きたるものにあらずして、却て自ら我想の滅却を目的となしたるものありしを知らねばならぬ。蓋し外道中に在りても勿論純然たる有我説を固持したるものなきにあらず。去れど其説の最も進歩したるものに至りては、単に我論を説かざるのみならず、自ら無相無我を以て目的となすものなることを主張したのである。然らば外道の無我説と仏教の無我説との相違点は如何にと云ふに、外道は定中無我説であって仏教は根本無我説である、定中無我説とは迷見の根源を以て我想に在りとなし、我想は客観の我所に対するに依りて起る、即ち我所に惑乱せらるゝより生起するものなるが故に、我想を滅せんとするには我所の惑乱より脱せねばならぬ、我所の惑乱より脱せんとするには、心をして寂静ならしめ動転乱起せしめざることを要す。此境に到らんとする方法を名けて彼等は禅定と云ふたのである。禅を修して其極に至れば心々所をして生起することなからしむるに至り、之を無心定となす。無心定を修すること数にして漸く熟する時は、死後無心定の天上に生を享くることを得となし、之を称して涅槃と云ふのであるが、外道の涅槃は無心にして我々所を離れて主観客観を泯亡すと雖も、単に定中の無心を意味するのみにして、我体の不存在を意味するにあらず、是即ち定中無我論にして、仏教の根本的無我論と同じからざる所以である。仏教にても亦全く無心定を修することなきにあらざれども、是れ只世の煩悶を避けて一時の休息を得んとするの意に基くものにして、決して之に依りて涅槃に達せんとするにあらず、仏教の涅槃は独り定中無心の楽しみを云ふにあらずして、根本的に我体の空無を体証するものである。(今井奘輔「倶舎論綱要」『曹洞宗講義 第二巻』昭和3年初版、昭和50年再版、所収、pp.28-29,〔 〕内私の補足、1部現代語表記に改めた)
要するに、「禅定をもって、悟りとしない」ということであろう。日常則菩提の精神なのだろうか。この記述は、いかにも禅を宗旨とする人の解説らしく見える。少なくとも、管見の範囲では、『倶舎論』概説において、このような記述は知らない。しかし、今井氏は、この記述の直後に、倶舎論の無我論を「純然無我論―主観的にも客観的にも全くの我体の不存在を説く」とし、更に、それを越えるものとして、大乗の無我論をいい、それを「大我
論―消極的には無我論を説くと雖も無我の内容を積極的に説く時は大我の実在を説く」とする。これでは、外道の主張と大差ないように見える。なぜなら、「根本的に我体の空無を体証するものである」とは到底いえないからである。その当否は別にして、結局、我を承認しているのは、論理的に不整合であろう。


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