「倶舎論」をめぐって

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他に、古き『倶舎論』解説書で、2,3紹介してみたい。梶川乾堂という人の『倶舎論大綱』という明治41年発行の書物がある。これは鴻盟社という曹洞宗と関連深い出版社から出されている。その緒言には、こうある。
 阿毘達磨倶舎論は小乗仏教の一大根幹にして、古来、『唯識三年倶舎八年』と称し、これが研鑽に多大の力を費したりき、しかれども、巻秩浩瀚字句難解、加ふるに必修の学芸、日に多きを加へ、今や力をこれに専らにするを得ざるの憾無きにあらず。…従来、倶舎論の大綱を述べたるもの『有宗七十五法記』『七十五法名目』等の著あるも、初学者に取りては、猶ほ是れ複雑難解たるを免れず、是れ実に教界の一大欠点なりと云はざるべからず。…不肖教鞭を曹洞宗大学、天台宗大学に執ること多年、此の欠点を感ずることますゝ太だし。仍〔ヨリ〕て自ら揣〔ハカ〕らず、本書を著し、以て、各宗中学程度の教科書及び初学者の参考に供えせんとす。固より完璧を以て自ら許すものにあらざるも、従来の欠陥を補ふに於ては、小補無くんばならず。…本書稿成て之が校閲を斯学の泰斗黒田真洞老師に請ふ、老師快諾、厳格なる是正を加へ、且つ懇切周到なる注意を与へらる、是れ深く著者の光栄とする所なり、茲に特に記して感謝の意を表す。(梶川乾堂『倶舎大綱』明治41年、pp.1-2,〔 〕内私の補足、1部現代語表記に改めた)
宗門大学の教科書として作られたものらしい。梶川のこの著書は、実は、何度か紹介したローゼンベルグも言及している。主著『仏教哲学の諸問題』には、典拠目録が掲載されている。そこには、梶川の『倶舎論大綱』が示され、以下のようなコメントが付加されているのである。
 重要な述語表を附した倶舎論の精要。定義の選択は巧妙になされている。講義の時の精要たらしめることが著者の目的。(の佐々木訳本p.295,Der probleme des buddhistischen Philosophy,p.272)
ローゼンベルグは、宇井伯寿を介して、梶川に質問をしに行ったようである。さて、ここで、目を引くのは、「唯識3年倶舎8年」という例の俚諺が、この明治41年の時点で、「古来」と形容されるほど当たり前に流布していたということである。梶川の著書で、泰斗とされる、黒田真洞という人は、確か、荻原雲来の先生でもあった人物であろう。内容的には、特に気にかかった点はない。


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