「倶舎論」をめぐって

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更に、遥か昔、ジャイナ論理学の著名な研究者、ナギン・シャーも、同趣旨のことを、語っていた。以下のごとし。
 ブッダの言明の幾つかには、刹那主義に反するものがある。彼は、物の誕生、維持、衰退、生滅を言う。更に、一切のものは、存在すると言う。即ち、過去・現在・未来は存在すると言うのである。第1の言明は、様々に解釈されるだろう。刹那の空間性、つまり、この刹那は、数学的な点ではないことを示唆していると解釈される。または、1刹那についての言明をなしたのではなく、一続きの刹那についての言明であることを示唆していると解釈される。第2の言明は、虚無主義批判の下で、解釈されよう。個々の刹那は、その過去と未来を有する。言わば、その原因と結果を有しているのである。無からは生じないし、結果無しでは、生滅はしない。全刹那は、原因として直前の刹那を持ち、結果として、次刹那を持つ。その原因や結果は、存在しないけれど、それは事実であり、確かである。何人も否定し得ない。一方では、「過去の行為が、我々の運命に影響することを否定する」アージヴィカの宿命論に対抗し、スローガンとして「一切は存在する」と提示したのである。
 (Nagin J.Shah;Akalanka’sCriticism of Dharmakirti’s Philosophy A Study,
Ahmedabad,1967,p.4)
ナギン・シャーの目的は、ダルマキールティ批判にあり、このような発言は、論述上、必要なので、軽く触れるのみであるが、何らかの示唆を与えるものであろう。ジャイナ教研究も、当然のことながら、仏教理解の布石として、重要である。シャーの研究でもわかるように、そしてロスパット氏の指摘でも知られるように、今や、ダルマキールティ研究の比重は、極めて大きい。種々のテキスト出版等で知られるラーフラ・サンクリトヤーヤナは、20世紀中葉に、こう述べている。
 ディグナーガと師世親が、インド思想の2代巨人であることは、疑いない。しかし、ダルマキールティは、単に、ダイナミックというだけでなく、全インド哲学の頂点である。ダルマキールティは、インドの、全創造的精神の中でも、中心的人物となったのである。彼は、その批判的な理屈、大胆な分析、透徹した思考で、何人にも、劣ることはなかった。(R.Samkrtyayana ed.;Karnakagomin‘sCommentsry on the Pramanavarttikavrtti of Dharmakirti,1982,rep.of 1943,pp.10-11)
 

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