新チベット仏教史―自己流ー

その7
長い引用になりました。これで西欧に『チベットの死者の書』が受け入れられた状況が見えてきます。鍵を握っているのは、再三登場するヒッピーと呼ばれる人達です。彼等が、歴史に現れるのは、1960年代、ベトナム戦争がきっかけです。戦争反対、そしてそれは反体制運動につながります。当初は、戦争の恐怖から逃れるために、ドラッグに走っていった若者の間で、ドラッグ体験と『チベットの死者の書』の記述が酷似しているという噂が広まり、
本書の爆発的な流行を生んだのです。次第に、宗教的な面に惹かれていって、上に記されているようなことになりました。実際、彼等の中からアメリカのチベット学は誕生します。ヒッピー達は、宗教だけでなくあらゆる方面で影響を広げていきました。象徴的出来事として、ウッドストック(Woodstock)の野外コンサートを挙げておきましょう。1969年の8月15
日から18日まで、ニューヨーク州の郊外で、約四十万人を集めて開催された、伝説的なコンサートです。ヒッピー世代の若者が、3日間、自由を謳歌して、コンサートを楽しみました。もう亡くなったミュージシャン、ジミー・ヘンドリックス(Jimi.Hendrix,1942-1970)やジャニス・ジョップリン(Janis.L.Joplin,1943-1970)も出演しました。知らない方もいらっしゃると思います。機会があれば、ネットなどで検索して、曲を聴いて見てください。こ
のような動きが社会全体で起きて、アメリカは若者文化の中心となりました。彼らは、ある意味で、非常に宗教的でした。それは『チベットの死者の書』流行にも現れています。他に、彼等の志向に合うものとして、先に紹介したブラバツキー等の神智学も注目を集めました。ブラバツキーは、新しい思想運動が起こる時、その象徴とされることはよくあります。
 

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