新インド仏教史ー自己流ー

その2
では、実際に、インドの文献ではどのように論じられているのか見ていきましょう。『俱舎論』の注釈者として有名な、ヤショーミトラ(Yasomitora,称(しょう)友(ゆう))の『明瞭(めいりょう)義(ぎ)』(Sphutartha、スプタールター)では、以下のように言っています。大分、長い引用になりますが、紹介してみます。
 〔『倶舎論』では〕「〔師、世尊がアビダルマを説いた、と〕伝えられる」という。「伝えられる」という言葉は、〔世親以外の〕他の意見であることを、明らかにしているのである。これはアビダルマに属する者(abhidharmika,chos mngon pa pa達の考えであるが、〔世親を始めとする〕我々経量部の〔考え〕ではない、という意味である。実際のところ、〔世尊以外の〕アビダルマ論書の作者は、沢山いた、と伝えられている。即ち、例えば、『発(ほっ)智(ち)』(Jnanaprasthana, Ye shes la ‘jug pa)の作者は、聖カートゥヤーヤニープトラ(Katyayaniputra, Ka tya’i bu)であり、『品類(ほんるい)足論(そくろん)』(Prakaranapada,Rab tu byed pa’i gzhi)の〔作者〕は、上座)ヴァスミトラ(Vasumitra, dByig gi bshas gnyen、世(せ)友(う))であり、『識(しき)身(しん)』(Vijnanakaya,rNam par shes pa’i tshogs)の〔作者〕は、上座デーヴァシャルマン(Devasarman,lHa skyid、提婆設摩)であり、『法蘊(ほううん)』(Dharmaskanda,Chos kyi phung po)の〔作者〕は、聖)シャーリプトラ(Sariputra,sha ri’i bu、舎(しゃ)利子(りし))であり、『施設論(せせつろん)』(Prajnaptisastra,gDags pa’i bstan bcos)の〔作者〕は、聖マウドガルヤーヤナ(Maudgalyayana,Mau dga la gyi bu、目健連)であり、『界(かい)身(しん)』(Dhatukaya,Khams kyi tshogs)の〔作者〕は、プールナ(Purna,Gang po、富楼那)であり、『集(しゅう)異門(いもん)』(Sangitiparyaya,Yang dag par ‘gro ba’i rnam grangsの〔作者〕は、マハーカゥシュティラ(Mahakausthila,gSungs po che、摩訶倶綺羅)であると聞く。〔ところで〕、経量部の意味は何か?経を基準とし(pramanika,tshad mar byed)、しかし、論を基準としない者達、彼らが経量部である。もし、論を基準としないのならば、経蔵・律蔵・論蔵という三蔵は、どのようにして、設けるのだろう、と〔アビダルマに属する者達は〕思うのいとも言っている〕。「比丘とは、三蔵家のことである」と。〔これを経量部では、どう見るのか〕?これ〔経を基準とすること〕は〔三蔵を無視して、論を捨てるような〕過失ではない。なぜなら、『決定(けってい)義(ぎ)』(Arthavinscaya,Don dam par gtan la ‘bebs pa)等は、特殊な経であって、アビダルマと呼ばれるからだ。それらには、〔論のように〕ダルマの特質(dharmalaksana,chos kyi mtshan nyid,法相)が、述べられているのである。このこと〔経を基準とするが、論を基準としないという考え方〕を〔三蔵という視点から、アビダルマに属する者達が〕訝(いぶか)るのを払拭(ふっしょく)するために、〔『倶舎論』では〕、「しかし、世尊は、バラバラに説いたのである」という。〔これに対し〕、上座法救(じょうざほっく)による、ウダーナ(Udana,Ched du brjod pa’i sde)は、「嗚呼(ああ)、諸行無常である」と述べる。このようなもの等は、教化(きょうか)されるべき者の器量(きりょう)に応じ、あれこれの経で、説かれたことが、分類され、1ヶ所にされたものである。同じように、ダルマの特質(法相)の説示を本分とする、アビダルマも、教化されるべき者の器量に応じて、世尊によって、あちらこちらで説かれたものなのである。上座カートゥヤーヤニープトラを始めとする者達は、『発智』等で、〔そのアビダルマを〕、まとめ、整理したのである、と〔アビダルマに属する者である〕毘婆沙師(びばしゃし)達はいうのである。(シャストリ本;p.13,ll.8-21,荻原本;p.11,l.23-p.12,l.9)
難しい文章です。解説を加えましょう。まず、冒頭では、説一切有部で主張されていることを世親は、「伝えられる」という言葉で示していると、ヤショーミトラは、注釈しています。しかもそれは、世親やヤショーミトラにとって「他の意見」であると述べています。さらに、世親とヤショーミトラは、経量部であるとはっきり表明しています。ここからは、説一切有部と経量部が対立している様子が見て取れます。では、何が対立の要因なのでしょう。それが以下、語られています。説一切有部には、『俱舎論』以前にも様々な論書が伝えられていました。はたして、それらは釈迦の説いたものなのか、そうではないのか、ということが論点です。説一切有部は、当然ながら「それらは釈迦の説である」と主張し、一方の経量部は、それに首を傾げています。実際のところ、ここに名の上がっている論書の内容は、極めて、専門的、複雑です。釈迦が、初期の経典で説いたような、わかりやすいものとは質が違います。釈迦の説いたものではないと見なされても仕方がない面もあることは確かです。でも、説一切有部には、釈迦の説を、何代にも渡って、磨(みが)いてきた、という強い自負があるのです。基本にあるのは、釈迦の教えであり、経典を無視しているとは思ってもいません。実際、説一切有部は、常に経典を念頭(ねんとう)に置いて、教理を作り上げています。しかし、それは専門的過ぎて、一般人には理解出来ないものになっていたのです。ただ、よく上の文を見ると、その専門性をめぐる議論ではないようです。ご存じのように、経量部たる世親の『俱舎論』も、極めて、専門性の高い、難しい内容です。経量部の経量部たる所以(ゆえん)は、実は、その論理性、つまり理屈(りくつ)にあります。世親を評して、よく「理(り)長為宗(ちょういしゅう)」と言います。「理」すなわち、理屈です。「長」この場合は、長ける、という意味です。「為宗」は宗と為す、つまり根幹とする、ということです。「理長為宗」は、理屈に長けることを根幹とする、という内容です。もう一歩踏み込んで言うと、「宗派の教義に捕らわれることなく、理屈に合わなければ認めないし、理屈に適っていれば承認する」姿勢を表します。そのような姿勢からすれば、説一切有部の教義には、理屈に合わない面もあったはずです。1例を挙げておきましょう。説一切有部は、世界をカテゴリーに分類します。その中に、心でもなく物質でもない「不相応(ふそうおう)行(ぎょう)」というカテゴリーがあります。例えば、すべての人間を人間たらしめる共通性を「衆(しゅ)同分(どうぶん)」と名づけ、それを不相応行の1種とします。非常に概念的で存在性が疑われるのですが、説一切有部は、心や物質と同じように存在性を認めます。このような不相応行に、批判的な目を向けるのが、経量部なのです。これで、おおまかに、経量部の立場がわかってもらえたと思います。理屈偏重を批判した側もまた、理屈を重んじるというのは面白い現象です。


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