仏教余話

その131
村上の所論を、少しだけ、引用しておこう。以下のようにいう。
 然るに世に愚僧の多き、明かにこの間の別を区画せざる者尠からず。之に依りて予が曾て『仏教統一論第一編大綱論』に於て、歴史的方面よりして大乗は仏説にあらざる所以を説き、その詳論を俟たず、徒らに不学無識の純良なる野人に之を吹聴し、恰も予を目して排仏教論者の如く指示せる者あり。されど未だ正々堂々にたる論陣を張りて大乗の真に仏説たる所以を考証し、以て予を駁するの人士之なきは、予の聊か憾みとするところなり。予はいずくまでも、大乗仏説論は歴史的問題にして、教理問題にあらず、学術問題にして信仰問題にあらずと確信す。(村上専精『大乗仏説論批判』、明治36年、pp.4-5)
もう1人、同じように、「大乗非仏説論」を唱えた学者に、前田慧雲がいる。ついでに、彼の言も見ておこう。
 大乗教は仏の所説にして、而して仏の滅後に至て、外道の哲学が、一層従前よりも発達し来りしは、是仏か其在世に当て高尚微妙なる大乗教を鼓吹せられたる影響の致す所ならんことを想像的に考えるものなり。然りと雖今行われある諸大乗経典中に説けるものが徹頭徹尾一字一句皆悉く金口即ち釈迦仏の舌頭より併出せしもの即ち現今の演説の速記録の如きものなりと謂はず、((前田慧雲『大乗仏教史論』明治36年、pp.324-325)
今紹介したのは、漱石が鎌倉で座禅をしていた時より、ほんの少し、後で、出版された書物である。 これより早く、明治30年に荻原雲来博士は、こう述べている。
 法性の至理は十方に通じて遺すなく、三際に至りて改まるなし。…一たび此処に体達せば、大乗非仏(釈迦)説恐るるに足らず、経論の相違解し難きに非ず。仏教は宗教なり離苦得楽を主眼とす、理学の知識に依り真偽を考察するに同じからず。(荻原雲来「仏教の研究」明治30年『荻原雲来文集』昭和47年所収、p.113)
また、これより少し後の明治1年に、荻原雲来博士は、明確に、こうも述べている。
 大乗の非仏説なることは、古来議論甚だ多し。日本にも富永忠基ありて此れを唱ふ。支那にも、印度にも非仏説を唱ふるものあり。…大乗は成仏するが終局の目的なり、…因て大乗教を成仏の教えとせば、大乗教は即ち仏説なり。(荻原雲来「印度文学史の大意」明治41年『荻原雲来文集』昭和47年所収、pp.27-30)
議論百出である。如何に、混沌とした時代か、わかるであろう。


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