「倶舎論」をめぐって

LXXXIV
現銀谷氏は、『倶舎論』と『チムゼー』の二諦説を区別している。確かに、svabhavaは、『倶舎論』のみで使われている。しかし、両者の趣旨は一致しているように、私には見える。一貫して、部分と全体の問題が論じられているのではなかろうか。現銀谷氏は、さらにdravya(ドラヴヤ)という語に着目し、『チムゼー』の二諦説について以下のような見解を示す。
 『倶舎論』の世俗諦は、「〈日常的存在〉は本質〔svabhava〕もなく、本質的認識もできないという点で実体的存在〔dravyasatドラヴヤサット、rdzas su yod pa,ゼースユーパ〕とは言えず、ただ‘名前のみの存在’〔prajnaptisat、プラジュニャプティサット〕(唯世俗samvrtimatra)〔サムヴリッティマートラ〕としか言えない。」ものであった。しかし、『荘厳』〔チムゼー〕では世俗諦も実体的存在として考えられていることから、すべての存在(=法)は実体として存在するものであると規定できる。したがって、『荘厳』〔『チムゼー』〕の二諦説は、実体的存在としての法を全体と部分、つまり構成されたものと構成要素という観点から世俗諦と勝義諦として規定する分類なのである。(現銀谷史明「二諦と自性―チベットにおける〈倶舎論〉解釈の一断面―」『東洋学研究』39,2002,p.148、〔 〕内は私の補足)
現銀谷氏の見解は、いくつかの点で問題がある。まず、氏はdravya=svabhava=勝義有という立場を取っているが、この一般的に承認されているイコール関係は再チェックしなければならない。現銀谷氏は、この関係を李鐘徹氏の「空と実在に関する巨視的素描―説一切有部から唯識までー」『江島恵教博士追悼記念論集 空と実在』2001という論文に依拠している。さらに、同じ本に掲載されている佐古年穂氏の論文も、その論拠のサポートとしている。しかし、佐古氏の論述の主眼は、dravyaの「実体」という訳語にまつわる理解に警鐘を鳴らすものである。佐古氏は、こう述べているのである。 
  このように、説一切有部は、dravyaを「独自のあり方をするもの」とみなし、「存在要素(dharma)」という語では十分に示すことのできない個別性を強調する場合にこの語を用いているのである。それに対して経量部/世親は、「実体性」を強調して批判を加えている。ここに両者の大きなズレが生じているものと考えられる(佐古年穂「『倶舎論』における
dravyaについて」『江島恵教博士追悼論集 空と実在』2001、p.47)。
こういう指摘がある以上、dravyaを単純に「実体」と訳すのは危険である。そして、その路線でsvabhavaとのイコール関係を承認するのも危険である。現銀谷氏は、続く論文でも「実体」という訳語を捨てない(現銀谷史明「毘婆沙部(bye brag smra ba)における存在の分類」『日本西蔵学会会報』47,2002,pp.3-17)ただ、氏の次の指摘は重要であろう。
 毘婆沙部の存在論についてのゲルク派の見解には、rdzas yod〔「実体存在」という複合語〕はrdzas su yod pa〔「実体として存在するものという」副詞的複合語〕の単なる省略形なのではなく、指示対象を異にする概念であるという認識があったわけである。(現銀谷史明「毘婆沙部(bye brag smra ba)における存在の分類」『日本西蔵学会会報』47,2002p.14、〔 〕内は私の補足)
氏のngo bo〔ゴーボー〕やrang bzhin〔ランシン〕という術語への見解にも私は全く同意出来ないが、今はこれ以上論じない。現銀谷氏は、ゲドゥンドゥプ ダライラマ1世の『倶舎論』注『解脱道解明』やサキャ派のシャーキャーチョクデンの『倶舎論』注『毘婆沙大海』、及び、『ドゥラ』という1種の仏教マニュアル書等を縦横に使用して、その体系を論じている。氏の業績は先駆的であることは認めざるを得ない。しかし、説一切有部を存在論的に有の体系としている点や、dravyaやsvabhavaに対する一面的な理解を示す点で、私の考え方とは一致しない。つまり、氏の業績は過去の見解の追認に留まり、根本的な疑義を提出するものではないと思われるのである。

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