「倶舎論」をめぐって

CXVII
私の手許には、曹洞宗講義なる叢書があり、その二巻目に、今井奘輔という人が、『倶舎論綱要』なる概説書を著している。その中から、適宜、引用してみよう。今井氏は、世親の思想的立場を、こう論ずる。
 倶舎論は此等大小乗有空二説の間に於て、その何れに属するものであるかを按ずるに、倶舎論は恰も此の大小二乗の中間に在て、有空二説の調和を謀った折衷者たるの観があるのである。之を宗派発達の事実の上から云ふならば、倶舎論は全く上座有部宗から出たるものであるから、或は之を有説と云ひ得べきも、倶舎論の著者世親菩薩は決して有部宗の説のみに拘泥したものではなく、却って大に経部(経部は上座部の分派なれども大に大衆部の説を取る所あり)の説に取る所があって、自ら理長為宗と号し、両者の長所を取て之を折衷せんとしたものである。故に倶舎論は純然たる有説ではなく、有空二説の中間に在るものである。斯く倶舎論は有空二説の調和折衷を謀ったるものではあるが、固より小乗に属する有部経部から出たるもので、小乗以外に逸したものでないから、古来より之を以て小乗教となすのは異論のない所である。去れば如来一代の説法を有空中の三時に分つ法相宗に在つては、之を第一有教の資格を有するものであるとなし、又之を蔵通別円の四教に分つ天台宗に在つては、之を蔵教に摂し、又之を小始終頓円の五教に分つ華厳宗に在つては、之を小教と云ふ其名は異つて居るけれども、皆同じく小乗教と判釈するのである。然れども此倶舎論は小乗教中の最も発達したものであって、将に大乗教の域に入らんとするの地位にあるものと云ふべきで、蓋し小乗教と大乗教との中間に位して…(今井奘輔「倶舎論綱要」『曹洞宗講義 第二巻』昭和3年初版、昭和50年再版、所収pp.5-6,1部現代語表記に改めた)
大胆な語り口である。


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