新チベット仏教史―自己流ー

その7
しかし、問題がないわけではありません。チャンキャを全面的に称賛するわけにはいかないのです。後代のチベットでは、「帰謬派」が登場した瞬間、空気は一変します。ツォンカパが高く評価したあの「帰謬派」です。それは、もはや神聖にして犯すべからざるものとして扱われています。チャンキャははたして、その制約から自由でありえたのでしょうか?常に私の念頭にある想いです。それを詳ら(つまびら)かにすることなど、出来はしません。けれど、その辺りのことを把握しないままでは、正しい理解には至らないはずです。チベット仏教の学的価値は認めなければなりませんが、盲目的(もうもくてき)に礼賛(らいさん)するのは危険です。
なお、チャンキャの事績については、Xiangyan,Wang,Tibetan Buddhism at the Court of Qing:The Life and Work of lCang-skya Rol-pa’i-rdo-rje(1717-86)が詳しく扱っています。1995年ハーヴァード大学提出の博士論文です。清朝におけるチャンキャの政治的役割を主に論じ、仏教学的面には簡単に触れるのみですが、『宗義書』についても、以下のように述べています
 近くにチャンキャは、小庵を持った。何年か前、夏季の蒸し暑さに慣れないチャンキャを住まわせるために皇帝が建てたものである。チャンキャは、香山のような涼しい場所で、大いに寛ぎ、そこで仏教の理論と実践についての重要な著作『宗義書』を著した。

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