新チベット仏教史―自己流ー

その7
ここでは、ユングについて、少し、見ておきたいと思います。入江良平氏は、こう述べています。
 一九二四年にエヴァンズ=ヴェンツがチベット僧の協力を得て、この経典の英語版を公刊し、センセーションを巻き起こした。一九三五年のドイツ語版にはユングが「心理学的注解」を寄せた。当時のユング・フィーバーの中にあって、彼の認知は、この経典の評価にも、またたぶん売り上げにも大いに貢献したにちがいない。・・・ここでぼくが話をしなければならないのは、バルド・ソドルに対するユングの注解(ちゅうかい)についてである。・・・あらためて考えてみると、ユング自身もチベット密教のことをそれほどよく知っていたわけでもないだろう。もちろんチベット語は読めなかっただろうし、博学(はくがく)だといってもこの分野の知識は素人(しろうと)に毛のはえたくらいのものだったにちがいない。彼はバルド・ソドルをエヴァンズ=ヴェンツの英訳で読み、そこに自分が治療実践の中で出会った原型的イメージを認めた。・・・ユングは、チベット密教の概念や神々の属性、長い伝統の中で蓄積(ちくせき)されてきた連想や意味付けについては無知だっただろうが、イメージの背後の無意識過程を見る目はあったのだろう。・・・バルド・ソドルも、心理療法家として患者の夢や空想を解釈するのとまったく同じように眺め、解釈しようと試みたにちがいない。(入江良平「ユングのバルド・ソドル注解について」『ユリイカ 総特集 死者の書』1994年、pp.302-303,ルビ私)
ユングについては、仏教との関連をもう少し探っておきましょう。よく言われるのは、ユングと唯識とのつながりです。ユングは、人間の心の底に、無意識というものを想定すると言われます。この無意識と唯識で説くアーラヤ識が相似していることはよく指摘されます。どちらも、普段の生活では意識されませんが、根底的な意識として存在するとされます。
 

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