世親とサーンキヤ

その4
そこには、サーンキヤには分派が多かったことが、簡単に触れられている。以下の如し。
 サーンキヤ(僧佉)は自学派の中、分かれて18部派である。だから今〔『成唯識論』では〕「サーンキヤ等」と〔複数形で〕述べているのである。
 僧佉自部中分爲十八部、故今言數論等。(基『成唯識論述記』大正新脩大蔵経、No.1830,p.265b,ll.5-6,〔 〕内私の補足)
『宗義書』の遥かに詳しい解説の価値がよくわかると思う。更に、最新の研究でも、『宗義書』が取り上げられることはなかった。インド思想の大家、服部正明博士は、1998年ローザンヌで開催されたサーンキヤ学会の報告論文集において、「有神論的サーンキヤについて」という論文を著し、インドの文献には言及して、次のようにいう。
 時代を経て、サーンキヤは〔カピラの〕『サーンキヤ頌』によって代表されるようになった。そして、有神論的サーンキヤの説く教義は、8世紀のシャーンタラクシタ、カマラシーラに知られていたが、暫時、忘れられていった。カピラの徒がいうサーンキヤ哲学では、自在神は最初から重要な役を果たしていなかったので、否定されるようになった。一方、パタンジャリの徒がいうヨーガ哲学では、自在神は、はっきりいくつかの詩節で言及されていた。更に、バクティ宗教における神への信仰心が、システムに導入されていった。かくして、〔『全哲学綱要』の著者〕マーダヴァの時代「有神論的サーンキヤ」という称号は、ヨーガ哲学に適用されることとなったのである。(M Hattori:On Seivara Samkhya,Asiatische Studien Etudes Asiatiques LIII・3・1999,p.616)注1)
こうした博士の考察も、『宗義書』に及ぶことはなかったし、他の論文にも何の言及もない。
 さて、もう1人のゲルク派の代表的学僧チャンキヤ(lCang skya,1717-86)の『宗義書』でも、注目すべき記述が見られる。彼はサーンキヤの分類について、こういっている。
 名称の同義語(rnam grangs,paryaya)は、それだけが25〔原理〕(nyer lnga)の数の定義(mtshan nyid,laksana)を知ることを通じて、解脱を希求するのでサーンキヤ〔数〕の徒(grangs can pa)、自性(rang bzhin,prakrti)を原因と述べるので自性因論者、カピラを師と認識するのでカピラの徒(ser skya pa,kapila),根本原質(gtso bo,pradhana)を原因と述べるので、根本原質派というのである。カピラの徒とサーンキヤの徒は、〔ジャムヤンシェーパの『宗義書』のような〕偉大なある典籍で、別々に説かれるけれども、サーンキヤの枢要な内部(nang chen zhig)に対してカピラの徒と名付けただけであり、その2つは同じものと説かれることも多いのである。
ming gi rnam grnags ni/de nyid nyer lnga’i grangs kyi mtshan nyid shes pa las grol bar ‘dod pas grangs can pa dang/rang bzhin rgyur smra bas rang bzhin rgyur smra ba/ser skya ston bar ‘dzin pas ser skya pa/gtso bo rgyur smra bas gtso bo pa zhes zer ro//ser skya pa dang grangs can pa ni/gzhung chen mo ‘ga’ zhig tu so sor bshad kyang grangs can gyi nang chen zhig la ser skya par btags pa tsam yin zhing de gnyis don gcig tu bshad pa yang mang ngo//
(Lokesh Chandra ed:Buddhist Philosophical Systems,1977,New Delhi,Sata-Pitaka Series,vol.233,Ka,22b/2-4,folio44,ll.2-4,チベット原典ローマ字転写)
先輩学者ジャムヤンシェーパを完全に意識した記述である。『真理綱要』「難語釈」には、以下のような1節がある。
 何であれ、それ〔3構成要素〕を本質とする〔様々なものの〕原因、それは根本原質であるとカピラの徒、即ちサーンキヤ派は述べるのである。
 yac ca tanmayam karanam tat pradhanam iti kapilah-sankhya varniyanti/(G.O.S版,p.22,ll.11-12)
 de’i rang bzhin gyi rgyu gang yin pa de ni gtso bo yin no zhes ser skya pa ste grang can rnams smra bar byed do//(デルゲ版、Ze,151b/1)
ここでは、カピラの徒=サーンキヤ派である。しかし、分派は多いので、慎重に対するべきであろう。カピラという名称が頻発するが、それは彼が、サーンキヤの開祖と目されているからである。サーンキヤの師資相承について、村上真完博士は、以下のように点描する。

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