新チベット仏教史―自己流ー

その10
ただ、1つ面白い話題があります。皆さんもよくご存知の森鴎外に『審美(しんび)綱領(こうりょう)』という訳書があります。これはドイツのハルトマン(E.V.Hartmann,1842-1906)という人の著書を共訳したものらしいのです。このハルトマンには、『無意識の哲学』Philosophie des Unbewasstenという有名な本があり、ネットでハルトマンを調べると、ユングに影響を与えたとあります。そのハルトマンには『美の哲学』Philosophie des Schoenen
という著書もあります。その訳本『審美綱領』の序文には、共訳者大村西崖によって、「僧(そう)佉論師(きゃろんし)の執計(しゅうけい)に較(かくじ)似(じ)ありと雖(いえど)も、談(だん)理(り)多くは相宗(そうしゅう)大乗(だいじょう)の玄(げん)旨(し)に同(どう)帰(き)す」(インドのサーンキヤ学派の思考法によく似ているが、内容のほとんどは、仏教の法相宗=唯識の奥義に帰
す)などとあります。ここでは、ハルトマンと唯識の考え方が似ている、といっているのです。ともかく、森鴎外も大いに、ハルトマンの影響を受けたらしく、大塚美保氏により、以下のように綴られています。
 鴎外がハルトマンの審美学に立脚し、芸術表現の最高段階を「小天地想」〔しょうてんちそう〕に置いたことはよく知られている。…こうした審美学を支えているのが、ハルトマン自身の無意識哲学である。…無意識哲学における唯一絶対の世界原理は「無意識(無意識者)das Unbewusste」であり、…鴎外は、無意識哲学に由来するミクロコスモス(小天地主義)の世界観を、仏教の「相即相入」〔そうそく・そうにゅう〕の世界観との類比関係において捉えているのである。(大塚美保「芦屋処女のゆくえー鴎外と唯識思想」『近代日本文学』50,1994,pp.2-3、〔 〕内私の補足)
鴎外は、ドイツに留学し、ハルトマン思想の先例を受けたのでしょう。そして、帰国後、唯識を詳しく学び、自らの美学を完成させようとします。ユングにも同じことが起こり得た、と夢想することも出来ます。少なくとも、ユングが仏教学とは、別系列から「無意識」を仕入れた可能性は出てきました。まだまだ、結論まで遠い話です。ちなみに、鴎外の『審美綱領』は、国立図書館のデジタルライブラリーで、公開されています。その序には、確
かに、ハルトマンの影響を受けた旨が記されています。
 以上、余談ですが、『チベットの死者の書』とも関連の深い、ユングについて簡単に触れてみました。
(これで少々変わったスタイルで書いたチベット仏教史は一応終了します)


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