新チベット仏教史―自己流ー

チベットの死者の書2-
その1 
では、『チベットの死者の書』の内容を見ていきましょう。俯瞰的(ふかんてき)に知るのには、川崎信定氏の解説が便利です。
 『チベットの死者の書』とは、チベットで家に死者がでたときにその枕辺(まくらべ)に仏教の僧侶が招かれて唱えるお経である。日本の「まくら経」に相当する実用経典であり、また死後七日・七日ごとに七週間にわたって唱えられる追善(ついぜん)廻向(えこう)・鎮魂(ちんこん)の經ともいえるものである。そしてその内容は、死の瞬間から次の生までの間に魂魄(こんぱく)が辿る(たどる)旅路(たびじ)、七週四十九日のいわゆる中有(ちゅうう)(チベット語でバルドゥbar do)のありさまを描写して死者に正しい解脱(げだつ)の方向を指示するものである。正式の題名を『深遠(サプ)な宗教書(チヨ)・寂静(シ)尊と憤怒(ト)尊を瞑想(ゴンパ)することによるおのずから(ラン)の解脱(ドル)』の書より『バルドゥ(中有(バルドゥ))における聴聞(トエ)による大解脱(ドルチェンモ)』と呼ばれる巻と称し、一般に『バルドゥ・トェドル(チェンモ)』の呼び名で知られている。チベット仏教の、とくにニムマ派やカーギュ派(パ)などの、古派(ニムマ)密教にはテルマ(埋蔵經)と呼ばれる膨大(ぼうだい)な文献がある。これらは永い間にわたって山中の洞穴(どうけつ)などに秘匿(ひとく)されていたもので、それが神託(しんたく)や霊感をうけた超能力行者のテルトン(埋蔵經発見者)によって発掘されたと主張される。本書『チベットの死者の書』もまさにこういったテルマの一つであって、本書の奥書によると、この書はチベット仏教の祖聖パドマサムバヴァ(チベット語でペマジュンネェ、蓮華生(れんげしょう) 八世紀)によって著わされ、彼の弟子・明妃(ダーキニー)であるイェシェツォギェルの手によってセルデン河畔(かはん)のガムポダルの山中に秘匿された。その後になって、パドマサムバヴァの第五の転生者に当たる、北方から来たリクジン・カルマリンパと呼ばれるテルトンによって発掘されたものとされる。(川崎信定『原典訳 チベットの死者の書』1989年、pp.201-202、ルビほぼ私)
これで概要はつかめました。『チベットの死者の書』はテルマと呼ばれる、埋蔵經の1つです。上では、埋蔵經への批判は見られませんが、きつい言い方をすれば、埋蔵經は後代のチベットで捏造(ねつぞう)したインチキ経と見なすことも出来ます。あらかじめ山中に埋めておいて、あたかも超能力で発見したように仕組むことさえ可能です。さらに、『チベットの死者の書』
の著者とされるパドマサムバヴァも、実は、かなり怪しい人物なのです。確かに、8世紀頃実在しています。しかし、状況を見れば「祖聖」とされるほどの僧なのか首を傾げざるを得ません。パドマサムバヴァは、サムイェの宗論で触れたカマラシーラの師であるシャーンタラクシタにチベットに呼ばれましたが、その理由はパドマサムバヴァの呪術を使って、チベット人を説き伏せるためでした。成功すると、シャーンタラクシタは、すぐさまパドマ
サムバヴァを送り返します。パドマサムバヴァは、仏教の教えを説く僧ではなく、単なるマジシャンとして扱われていたのです。そういったことを考え合わせると、『チベットの死者の書』の価値を再確認しなければならないと思います。
 

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