仏教余話

その143
さて、寄り道は止めて、本題に移ろう。我々は、漱石に戻りたいが、その前に、まず、三島の唯識について論じなければならない。三島は、「そもそも唯識という語をはじめて用ひたのは、インドの無着(むじゃくーアサンガ)であった。」と述べていたが、これは、怪しい、不確定なことである。はじめて、唯識が論じられたのは、『解深密経』と、目されているらしいからである。そして、無着以前に、マイトレーヤという伝説の霧に隠れたような人物がいる以上、無着が最初とはいいにくい。しかし、唯識を理論的に練り上げたのは、無着と考えてよかろう。彼の主著は、『摂大乗論』(Mahayana-samgraha,マハーヤーナ・サングラハ)であるから、それに三島が言及して
いるのも、正しい選択である。その書の題名を簡単に説明すれば、マハーヤーナが「大乗」を意味する。マハーは、大きい、偉大な、というような意味で、マハトマガンジーという時の、マハは、それに由来している。ヤーナは、乗り物のことで、大乗とは、文字通り、大きな乗り物、である。サングラハは、綱要書というような意味であろう。高崎直道博士は、簡潔にこういう。
『摂大乗論』はまさにその題名どおり、大乗の総合を意図するものであるが、そこではじめて唯識説が大乗の土台として位置づけられる。(高崎直道「瑜伽行派の形成」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年所収、p.23)

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