新インド仏教史ー自己流ー

その2
上の記述で登場する「無記」とはでは、どのような考え方なのでしょうか?説明してみましょう。宮元啓一による解説を引用してみます。
 先の『毒箭経』〔どくせんきょう〕に話を戻そう。それによれば、哲学議論好きの青年修行者マールンキャプッタは、釈尊が、〔「死後の世界は存在するか」などの〕例のたぐいの質問に一切答えないことに不満を抱き、釈尊にその理由を問うた。そこで釈尊は、毒矢に射られた人の話を譬喩〔ひゆ〕として語った。毒矢に射られた人が、それを抜こうとする人を制して、だれがこの矢を射たか、その者はどこの出身か、あるいはまた、その矢はなにでできているか、矢羽はなにでできているか、弓はなにからできているか、などなど、これらを自分が知るまでは、けっして矢を抜いてくれるなといったとする。これをどう思うか。まず必要なのは毒矢をいちはやく抜くことである。それと同じように、迷妄(めいもう)、煩悩(ぼんのう)に身心をさいなまれてる人は、ろくな結論もでない議論に心を奪われている暇(ひま)があるならば、さっさと迷妄、煩悩を一掃(いっそう)するような修行に専心(せんしん)すべきである。以上がその概要である。一般には、この経典は、理屈、理論よりも実践修行が大切であることを説いたものだといわれる。しかし、この解釈は、いささか危険な面をもっている。それは、理論を極端に軽視する傾向(大乗仏教において顕著となる)を生み出すということである。釈尊は理論を軽視しなかった。むしろ、理論、理屈をよく理解し、頭に留めておかなければ、正しい修行は不可能だとした。釈尊が不可としたのは、経験的な事実にもとづかない議論、理論のための理論、理屈のための理屈にかかづらうことであった。…世界にたいして、かならずしもなげやりというのではないとはいえ、根本的にはどうでもよいという態度をとっていた。ニヒリストにしてプラグマティストたる釈尊は、原則(げんそく)固執(こしつ)主義(しゅぎ)を厳しく戒(いまし)めた。場合によっては、かれの態度は、ずぶずぶの妥協(だきょう)主義(しゅぎ)、無原則主義であるかに見えることがある。(宮元啓一『仏教誕生』1995、〔 〕内私の補足)
宮元氏が俎上(そじょう)に上げた『毒箭(どくせん)経(きょう)』での形而上学(けいじじょうがく)的質問を、仏教用語では、無記(avyakrta)
〔アヴヤークリタ〕といいます。「説明無し」という意味です。聞いた方もいるでしょう。
この「無記」の考え方が、サンジャヤ由来のものだとすると、それが、果たして、ブッダの真意なのか否か、大いに戸惑(とまど)います。しかし、「無記」的解釈をもって、ブッダの真意(しんい)とし、それこそが仏教の精髄(せいずい)とする人々は、確かに多いのです。しかも、それが空の論理と一脈(いちみゃく)通じているとなると、問題は更に複雑化します。袴(はかま)谷(や)憲(のり)昭(あき)氏は、実践(じっせん)至上(しじょう)主義的(しゅぎてき)な仏教理解を批判し、こう述べています。
いかなる主張も立てず無立場であることこそ仏教だと思われている風潮も相変わらず根強いと考えられる。その無立場を表す典型的な例の一つが「無記(avyakrta)」といわれるものであるが、これを仏教と思ってはほしくない…〔形而上学的質問に〕仏教の開祖は答えなかった(無記)というのが「十四無記」であり、これを仏教の根本的立場とみなす学者は今もなお多いと思われるが、仏教徒であれば、明確な命題を選んでいく責任があると私は思う。(袴谷憲昭『仏教入門』2004、pp.149-150)
シャカ当時のインドでは、この辺りの思想動向は判然とはしません。しかし、仏教で概して評判のよい、この「無記」「シャカの沈黙」について、ライヴァル学派のジャイナ教の取った態度を見ておくのも面白いでしょう。谷川(たにがわ)泰(たい)教(きょう)氏は、詳しく、こう述べています。
 仏陀が答えず沈黙した問いに「世界は常住(じょうじゅう)であるか無常であるか、有限であるか無限であるか云々」があった。このような問いにジャイナ教はどう対処したか。幸い『アーヤーランガ』(一・八・一)にそれにふれた一節が残っている。
  世界は存在するかしないか、世界は常住なのか常住でないのか、世界は有始なのか無 始なのか…このように互いに対立し自説を主張しあっている。これは論理的でないと知りなさい。このように彼らの教えは正しいものではない。世尊[ジャイナ教の開祖](マハーヴィーラ)によって説かれたように答えるか、さもなくば沈黙を守りなさい。
 この中で沈黙を守るというのは仏陀の立場に通じるものとして興味を引くが、世尊が説いたようにとは何を意味するか、これについて確かなことはわからない。しかし次の例はその一つの解答の試みにはならないか。『ヴィヤーハパンナッティ』(二・一)は同様の問いに対して相対主義に立つ解答を行う。
   世界は有限であるか無限であるか。〔霊魂(れいこん)・成就(じょうじゅ)・成就者(じょうじゅしゃ)についても繰り返す〕世界は〈実体的には〉有限、〈場所的には〉有限、〈時間的には〉無限、〈情態的には〉無限である。〔霊魂以下についても繰り返す〕
 一つの対象について複数(この場合四つ)の視点を用意して相対的(そうたいてき)に判断する仕方は、〈スヤード・ヴァーダ〉と変わるものではない。〈ある点からすれば〉(syad)が具体的に挙げられたということである。…[ジャイナ教の開祖、マハーヴィーラ] かれはこうして不可知論(ふかちろん)と無記説とを避け得たと言えるであろう。…総じてかれは個々の自然現象を分析観察して、知識を総合する素質の豊かな人であったことを聖典の記述は証明している。業(ごう)と解脱(げだつ)の独特のメカニズムや相対主義はその現れであろう。その点、瞑想的(めいそうてき)哲学的な仏陀とは性格を異にする。(谷川泰教「原始ジャイナ教」『岩波講座 東洋思想 第5巻 インド思想 1』1988,pp.81-83,[ ]内私の補足)
ジャイナ教は、仏教と同じ頃誕生し、今尚、インドに生きています。とにかく、実践至上主義か?それとも理論優先か?という観点は、あらゆる時代のあらゆる土地での仏教を考える上で、いつも意識すべきことです。舎利弗・目連の師サンジャヤも六師外道の1人なのかということも実ははっきりしていません。シャカの時代については問題が多く、なお、説明を要します。

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