「倶舎論」をめぐって

VIII
「破我品」は、様々な問題意識を喚起してくれる。『倶舎論』の中でも、特筆すべき1章である。研究のテーマとするには、うってつけのものであろう。「破我品」の問題点は、例えば、その章の位置付けにもある。第9章「破我品」を別著と看做す見解を、一般に、「破我別撰論」という。櫻部博士は、その内容をこう伝えている。
 「破我品」が『倶舎論』の第九章であるか、どうか、という問題がある。徳川中期の倶舎学者快道に名高い破我別撰の論があって、「破我品」は本来『倶舎論』とは別に撰述された『破我論』であるのに後人が閲読の便のために二論を合冊したため誤ってそれが倶舎論第九章とされるに至った、と主張したことに始まる。快道は初め「理」からしてそうでなければならないと思っていたが、真諦訳『倶舎釈論』が大師世間眼」等の三頌を第八章「定品」の末尾ではなく第九章の初頭に置いているのを発見して、いよいよその確信を深めた、という。それら三頌は本来『破我論』の発起序であったに違いなく、破我別撰の説はこれによって「教」証をも得た、と考えたからである。こんにちチベット語訳やサンスクリット原文をも対照し得るようになって見れば、この箇処では真諦のテキストの方に乱れがあると考えられるから、快道のいう教証は破れたと断じなければならない。別撰の論はどう見ても無理であるが、しかし、それが、『倶舎論』の叙述は前八章で完結する整然とした組織をもつものであって、「破我品」は別にそれだけで纏った内容をもつものである、という主張であると解するならば、その限り十分に妥当な見解であると思われる。事実、破我品を倶舎論第九章としないで、「第八章に続く附論」としているテキストもある(ヤショーミトラ疏がそれであり、スチェルバツキーの破我品英訳もそれに従う)し、前八品で打切って破我品を有しないテキストもある(スティラマティ疏がそれであり、『順正理論』や『顕宗論』も破我品に当る部分をもたない)。『倶舎論』のチベット語訳でも両漢訳でも「破我品」は第九章とされているが、プラダン本に見るサンスクリット破我品本文では、どこにも「第九章」(ナヴァム・コーシャスターナム)という語はない。ただ末尾に「プドガラ・コーシャ」という語があって、これがこの章の呼称のようにも見える。あるいは「プドガラ・コーシャスターナ」(「我」の章)のスターナが脱漏したか省略されたのかも知れない。いずれにしても「第九章」の語は無いのであるから、校訂者プラダン氏がテキスト上覧に「第九章」という柱を置いたのは適当ではない。「破我品」を第九章と呼ばないことは、上述のごとく、一つの意味を持っているからである。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(一)」『毘曇部第十二巻月報 三蔵104』昭和50年、pp.93-94)
このように、櫻部博士は「破我別撰論」に一定の評価を与えている。確かに、『倶舎論』の偈と散文の自注及び第9章に思想的相違があることは、種々の学者に指摘されている。偈は説一切有部の立場、自注と第9章は経量部の立場でるともいわれている。この問題を追及した研究で、私が知っているものに現銀谷史明氏のものがある。氏は、シャーキャーチョクデン(Sakya mchog ldan,1428-1507)というチベット人の『倶舎論』注が、第9章まで扱う点に着目し、その理由を探った。氏はこう述べている。
 シャーキャチョクデンは以上のように第九章が倶舎論前八章とは論述内容の面からも、思想的立場の面からも別箇であるにもかかわらず、それを(典籍としての)倶舎論にどのように位置づけるのかの解決方法として、結頌に対する註釈の体裁を持たせることによって倶舎論としての統一を図ろうとしたのではないかと考えられるのである。…シャーキャチョクデンによる位置づけは、倶舎論第九章をヤショーミトラやプールナヴァルダナ及びチムロサンタクパのように倶舎論第八処の付属、または倶舎論チベット訳のように前八処と並列させて第九処とするのでもなく、前八処全体と第九章という対比の上で、第九章を独立した章として位置づけながら典籍としての倶舎論全体を統一的に解釈する視点を与えるものであると言えよう。(現銀谷史明「シャーキャチョクデン著『毘婆沙大海』における『倶舎論』第九章の位置ずけ」『印度学仏教学研究』52-1,2004,pp.415-416)
また古い研究で、舟橋水哉という有名な学者は、こう述べている。
 元来倶舎論頌は、第八定品で終って居て、第九破我品はない。然るに倶舎本論になると、第九破我品が添って居る、そして頌はなしに、唯長行のみで書いてある。豊山快道は、破我品と倶舎論とは元来別なもので、実は二個の著書であったのが、どうかして後世一処になったものと判定し、破我別論を唱導した。奇抜な論で、豊山学系の特色をなす様になって、現今でも尚之が継承者がある様であるが、しかし耶弥多羅〔ヤショーミトラというインド人〕の倶舎釈論といふ梵本で見ても、又印度からすぐに翻訳したといふ西蔵訳倶舎論で見ても、やはり破我品がちゃんと付いて居る。故に最近では、破我別論などゝいふことは、全く一個の想像と見て差支ないことになってきた。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年、pp.11-12,〔 〕内私の補足、1部現代語表記に改めた)
更に、「破我品」の意味合いを、以下のように指摘している。
 破我品は倶舎論著作の時特に付加されたるものにして、実我の観念は、印度思想界に横溢せり。是を以て世親は、倶舎論著作に際し、此観念を打破して、諸法無我の真理を明にすべく、特に此一品を加へたる也。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年、付録「倶舎小史」p.33、1部現代語表記に改めた)
「破我品」は、『倶舎論』の著作意図からして、あって然るべきものだと、船橋博士は述べているのである。とにかく、『倶舎論』の章立てという、基本的なことさえ、定説がないことを知ってもらえば、よいと思う。ちなみに、私自身は、現段階では、「破我品」を含む全9章で、『倶舎論』であると看做している。
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