新チベット仏教史―自己流ー

その6
さて、摩訶衍説の肝心な点は、分別の排除だけではありません。それを言う背後には、本覚思想があります。本覚思想とは、「人間は本来悟っていて、煩悩は太陽を隠す雲のような存在でしかない」と考える思想です。つまり、煩悩の源である分別さえ除けば、悟りはすぐに得られるとするのです。このような思想は、中国や日本では主流でした。ですから、サムイェの宗論が日本で行われていたなら、摩訶衍が勝利したのです。インド・チベット仏教と中国・日本仏教は、同じ仏教とはいいながら、全く、違うものなのです。そういった観点を得ることが、インド・チベットの仏教を学ぶメリットです。中国や日本の仏教を学ぶだけでは、得にくい視点であると思います。
チベットでは、サムイェの宗論以降、インド仏教導入に舵を切ります。吐蕃の国力を傾けて、インドの経典や論書を翻訳していきますが、やがて、国は分裂し、仏教の暗黒時代が続きます。実は、インド仏教主流の陰で、中国仏教の影響は常にありましたし、チベット仏教自体の選択もいつも正しかったわけでもありません。密教に由来する呪術がはびこり、中観の異端的な理解も広まります。
最後に、中国・日本仏教とインド・チベット仏教の違いを際立たせる話をしておきましょう。仏教論理学が、中国・日本仏教では軽視される傾向にあったことは、先に触れました。インド仏教では花形的な存在であったことを思えば、違いが浮かび上がります。チベットでは、その面でインド仏教を継承し、仏教論理学は極めて盛んでした。後代のシステム化された僧院教育では、まず、最初に学ぶのが、仏教論理学なのです。いきなり難しいテキストを読むのではありません。少年僧は、仏教論理学のマニュアル本を学びます。「ローリク」とか「タクリク」と呼ばれる教科書が作られていました。そこでの学習を踏まえ、少年僧達は、ディベート能力を高めます。何年かそのような訓練をした後に、中観や唯識に取り組みます。仏教論理学に力を入れる学僧も多数いました。特に、重視されたのが法称の『量(りょう)評釈(ひょうしゃく)』(Pramanavarttika,プラマーナ・ヴァールッティカ)という著作です。「正しい認識基準に関する考察」というような意味があります。『量評釈』の中で、チベット人が、最も、深く研究した章があります。「量(りょう)成就(じょうじゅ)」章という章です。この中で、法称は輪廻等、宗教的課題の証明に努めました。釈迦が一切知者、つまりすべてを知る人間であるということも証明しようとしました。現代人から見れば、輪廻等の証明は無謀(むぼう)に見えます。しかし、古代のインド人は、そう考えませんでした。子細(しさい)に読んでいくと、矛盾もたくさん見えてきますが、彼等は挑戦したのです。その頂点に立つのが、『量評釈』であるとされます。チベット仏教では、『量評釈』の中に、理論によって悟りを得る方法を探したのです。サムイェの宗論から、幾分、外れたようですが、仏教の相違点を意識してもらうために付け加えました。サムイェの宗論のようなことが日本で起こっていたなら、どちらが勝利したでしょうか?そんな妄想を抱くのも、無駄ではないように思います。

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