仏教余話

その226
我々は見たい部分、理解しやすい側面しか捉えていないのである。チベット仏教について、やや詳しく述べたのは、私自身、そこから、限りない恩恵を受けていて、これからの研究においても、大いに、チベット語仏教文献を活用する予定でいるからである。ここで、日本のチベット学の動向や実力なども瞥見しておきたい。日本チベット学のパイオニアの1人は、長尾雅人博士であろう。博士は『西臓仏教研究』において、ツオンカパの主著『ラムリム』の最終章の訳注研究を行い、それまでの中観理解に一石を投じた。また、唯識の分野でも、先駆的な業績を挙げた。ここでは、その分野についての話題を提供しよう。博士の所説を聞こう。
 中観・瑜伽行唯識等の仏教学研究に際して、漢訳文献のみを以て満足し得ざることは、現在学界に常識である。近来発見せられつつある少なからざる梵語文献に対し、またそれにもまして西蔵語文献に対して、学者の注意が集中せられることは当然である。中観派についても事情は同様であるが、殊に瑜伽行唯識学の場合は、〔伝統的な玄奘の法相宗の基本聖典〕『成唯識論』の如き根幹的な書物に幾多の疑問がさしはさまれている今日、より原本的な様相が梵文或は蔵文の文献によって究められるべきであろう。…少なくも中観哲学の系統にあっては、漢訳文献とは異なった特色ある学問の発展を、我々は西蔵に於いて見出すのである。それと同様に唯識学の面に於いても、その典籍や学問などに於いて、たとえば〔玄奘が本流とした〕護法流の唯識学という如きもののかすかな消息だけでも発見し得ないであろうか。この期待は然しながら、今までのところ殆ど全く満たされるに至っていない。少なくも〔中国にあった〕摂論宗や法相宗という如き形態で我々が考えるものを、西蔵の過去にも現在にも見出すことは、不可能のようである。このことは他の面からも予見できないことではなかった。即ち西蔵に行われた仏教学は、古来から殆どすべて中観哲学を中心とせるものであり、これが強く密教と結びついたものであって、この二者以外の色彩は希薄であるからである。宗喀巴〔ツオンカパ〕の顕教的な教学の基本となる五学科の中にも、一方には中観の学があげられながら、唯識学の名はいずこにも見出されない。…かかる状況の中にあって、宗喀巴(Tson-kha-pa,A.D.1357-1419)の著作の中に、次の一書を見出すことは、稀な例というべきであろう。即ち、
  Yid-dankun-zi’I dka’-ba’I gnas rgya-cher-‘grel-pa legs-par bsad-pa’irgya-mtso
  『意と阿頼耶との難解の個所を釈する善説の海』
 というので、北京版宗喀巴全集の第六函に収められ、五十五枚を算する。…これこそ瑜伽行唯識学系統の一論書というべきである。かつそこには護法の名も見え、〔中国仏教で話題となった〕九識説などの解説もあって、上述の如き要求をある程度満足せしむるものの如くに見える。…〔同書において〕『摂大乗論』こそは殆どいずれの問題についても中心的な根拠となるものであって、したがってその『世親釈』と『無性釈』もまた、縷々引用せられ(いずれも数回)、殊に西蔵大蔵経のみに残る『秘義釈』(Guhyartha,東北4052)の引用の多いのが目立つ。『秘義釈』は、いずれもが根幹的な意義を以て引用せられるのであり、宗喀巴は多くこの書によって影響せられているものの如くに見える。…その中、最も、興味あるものは阿摩羅識amala-vijnanaを含む九識説であって、そこには護法の名すら見えている。然るにその九識説の紹介の基づく所は、実はすべて〔玄奘門下の〕円測(Wen tsheg)の『解深密経疏』(Dgons-‘grel-gyi ‘grel-chen,東北4016)にほかならない。この西明寺円測の疏は、法成(Chos-grub)によって漢文から訳出せられ、三函にわたる大きさのものであるが、後世の西蔵に於いてもかなり珍重せられたものらしく見える。…宗喀巴は東方ん於ける摂論宗や法相宗の具体的な事情を何ら知らないままで、しかも九識説を重要なトピックとしてとり上げた。その提唱者たる真諦は印度人(rgya-gar-pa)なるが故に、その九識説は印度に発するものと彼は素朴に信じたものの如くである。…真諦は後世への影響の極めて大なる存在であるとともに、種々の問題をはらむ人である。彼の『大乗起信論』は、最も長くかつ最も広く世に行われたものであるが、その著者性は今なお学界の問題となっている。…法相宗に見られる様な唯識学としての体系と伝統とが西蔵に伝えられなかったことは、ほぼ確実であるといい得る。然し「西蔵に残れる唯識学」としては、なお右の〔中観や唯識などの各宗派の教えを整理した〕『ドンター』や〔ツオンカパが中観の立場から唯識を批判した〕『了義未了義論』の如きが総合的に眺められるべきであって、これは今後の研究にまたねばならない。(長尾雅人「西蔵に残れる唯識学」『中観と唯識』1978,pp.423-424,〔 〕内私の補足)
長尾博士のこの論文の初出は昭和28年のことである。それから、チベット学は、驚異的な進歩を遂げ、博士の取り上げた文献には、ほぼ、現代語訳は出揃っている。例えば、博士が、言及した『意と阿頼耶との難解の個所を釈する善説の海』は、ツルティムケサン・小谷信千代『ツオンカパ著 アーラヤ識とマナ識の研究―クンシ・カンテルー』として、テキストと訳注研究が発表されている。とはいえ、長尾博士の指摘する真諦の問題などは、多分、今でも未解決なままなのである。

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