日本人の宗教観ーある観点ー

その4
田村芳郎博士は、この問題を論じるに当たって、こう述べています。
 今ここに、鎌倉新仏教の代表者として、親鸞(1173-1263)・道元(1200-1253)・日蓮(1222-1282)の三師をあげた時に、三師それぞれに特有の相承(そうしょう)系譜(けいふ)があり、また、独自の内的体験があり、さらに相互の間の直接的な交渉というものはみられなかったのであるから、現今(げんこん)、それぞれの立場に立つ学者が、おおむね別個に祖師(そし)の思想を浮彫りにしているということは、あながちに否定されるべき態度ではないといえよう。しかしながら一方、この三師が鎌倉という共通の時代、しかもわりあい接近した時期に生をうけているということは注意されねばならないし、さらに、三師が仏教徒として、仏教一般という共通の素地(そじ)があることはいうまでもないとして、特にここでとりあげようとする天台本覚思想との関連が、三師の思想形成における共通問題としてあったということが、考えられなければならないだろう。一応、歴史的には三師とも叡山(えいざん)に学び、またその学風にふれているのであるから、たとい結果としてはそこから脱することになったとしても、三師の思想の共通背景として、天台本覚思想が存することを思わせるのである。また天台本覚思想と関連づけ、対比することによって、かえって三師それぞれの独自性が的確につかまれるだろう。(田村芳郎仏教学論集 第1巻『本覚思想論』pp.325-326、ルビは私)
ここでは、道元に絞って、田村博士の論を引用してみます。
 道元についてみるに、かれの思想もまた、日本天台の本覚思想の影響を受けているということは、すでに二三の学者によって注意されているところであるが、今この観点に立って道元の説を拾い上げてみると、生死(しょうじ)涅槃(ねはん)について「弁(べん)道話(どうわ)」に、「生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、仏法をいとふつみ〔厭(いと)う罪〕となる」と説き、「生死」の巻では、「ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし」と述べられているが、この生死即涅槃は天台本覚思想のいたるところで強調されるもので、…道元と天台本覚思想との間に類同点のあることをみたのであるが、しかしこのような類同点があるにかかわらず、綿密にみるならば、その力点に於(おい)て相違すべきものがあることを知る。それは、天台本覚門はその本覚思想を一途(いちず)に押しすすめていったに対し、道元はそれを根底にもちながらも、そこから逆回転していることである。…たとえば、…修証(しゅしょう)一(いっ)等(とう)〔修行と悟りは同じもの〕の問題であるが、これを天台本覚的にみれば、修証一等なるゆえに、本来そのまま証〔悟り〕で、「坐禅なにのまつところかあらん」〔坐禅に頼る必要があろうか〕であるが、道元は修証一等なるがゆえに修〔修行〕あるべきで、もし一等なるがゆえに修なしとするならば、それは真に一等を知らざる者としている。道元においては、修即証、証即修なるがゆえに、修は復活されるのである。これが本証(ほんしょ)妙(みょう)修(しゅう)であり、証上(しょじょう)の修である。(田村芳郎仏教学論集 第1巻『本覚思想論』pp.335-338,〔 〕内・ルビは私)
鎌倉仏教を開いた開祖達は、本覚思想の影響下にあり、それを独自に乗り越えようとしたということが伝われば、よいと存じます。

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