仏教余話

その249
詳しい、引用状況は、G.Oberhammer;On the “Sastra”quotations of the Yukutidipika(The Adyar Library Bulletin,vol.25 parts1-4,1961,pp.131-172で見られるようである。本書の重要性の故か、その後、新しいテキストが公刊されている。A.Wezler and S Motegi;Yuktidipika The Most Significant Commentary on the Samkyakarika,vol.1,1998である。そこでも、Appendix VIII,p.344には、『倶舎論』の引用箇所が6箇所示されている。論議の中核を担う「変化」(parinama)に関わる引用が多い。しばらく、後で、見ることになるだろう。ヴェツラー氏と茂木氏の新装版Yukutidipikaのイントロダクションには、
ニューエディションの必要性も書かれている。こう述べている。
 〔先年、出版された〕パンデーヤの刊本は、全く、期待に沿っていないのである。今や、インド学においては、批判的刊本に取って代わられるような代物である。彼〔パンデーヤ〕の刊本は、利用可能なすべての写本に基づいていない、彼の実際の読解に関する情報は常に信用できるわけでもない、彼が構成したテキストは諸所で、明らかに、誤りである、シンプルな印刷から出来する様々な理由からである、〔そんなテキストは〕、間違った解釈を増長し、文言の理解を失う。だから、新しい、十分、クリティカルなYuktidipikaの刊本が、明白に望まれているのである。サーンキャ哲学史のためのみならず、このテキストが有する尋常でない重要性を視野に入れた〔刊本が〕、取分け、〔望まれているのである〕。(A.Wezler and S Motegi;Yuktidipika The Most Significant Commentary on the Samkyakarika,vol.1,1998、p.X、〔 〕内私の補足) 
もう少し、書誌学的情報を整理してみよう。ヴェツラー・茂木本には、『ユクティ・ディーピカー』の題名や著者についての解説が付されている。まず、それを見てみたい。
 『ユクティ・ディーピカー』という名前は正しいものだと思われる。それは、各11日課(ahnika)の末尾にある奥書に規則的に記されているし、加えて、結論的偈の第2によっても期待通りに裏付けられている。(270ページ、15行以下)しかし、『ユクティ・ディーピカー』に言及する後代の著者の知見によるたった2つのケースの故に、疑惑が浮かんでいる。


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