Tips of Buddhism

No.31
The original text by Vasubandhu has not yet been discovered except some of the karikas.However,the Chinese Version of the same text by Paramartha is faithfully rendered word for word,and the fact that the arrangement of terms closely pursues that of the original might be inferred from the sentence of the present commentary .(U Woghihara;Sphutartha Abhidharmakosavyakya the work of Yasomitra,Tokyo,1989,rep. of 1936,p.2)(hints Vasubandhu世親、karika偈、Paramartha真諦)

(訳)
世親の原典は、偈の幾つかを除いて、未だ、発見されていない。しかしながら、真諦の同書の漢訳は、間違いなく、逐語訳している。更に、原典の術語の並べ方を、しっかり追跡しているという事実は、現注釈の文章から推測出来よう。
 
(解説)
『倶舎論』は世親の代表作である。注釈も多い。その中でも、インドで書かれた注釈は、地理的にも重要視される。その白眉(はくび)が、ヤショーミトラ(称友)の注釈で、そのサンスクリットテキストを校訂出版したのが、世界的学者、荻原雲来(おぎわら・うんらい)である。これは、その序文からの抜粋である。現在、『倶舎論』のサンスクリット原典は、簡単に披見(ひけん)出来る。しかし、荻原の当時、『倶舎論』原典は未出版であった。むしろ、その注釈の方が、早く、出版されていたのである。世界の仏教学者は、国際的プロジェクトを組んで、『倶舎論』原典を再現しようとしていた。その渦中(かちゅう)で、耳目(じもく)を集めたのが、『倶舎論』の漢訳であった。漢訳には、2種類あり、1つは三蔵法師として有名な玄奘(げんじょう)の訳したもの、もう1つは、インドから渡来した真諦(しんたい)の訳したものである。中国・日本では、玄奘訳が主流で、真諦は異端(いたん)として、排斥(はいせき)され続けてきた。しかし、皮肉なことに、『倶舎論』のオリジナルに近いのは、真諦訳と認められるようになった。真諦再評価の先鞭をつけたのは、大学者、宇井伯寿(うい・はくじゅ)である。『倶舎論』の国際プロジェクトの様子だけ簡単に伝えておこう。
 〔『倶舎論』の〕サンスクリット・テキストを念頭に置いた、あるいはテキスト・クリティークの視座に立った現代的研究は、今世紀〔20世紀〕初頭に開始された。現代的研究の開始状況は、きわめて国際的だった。シチェルバツコイ(Th.Stcherbatsky)が『倶舎論頌(じゅ)・註』第1章・第2章前半のチベット語訳テキスト、あるいはヤショーミトラの『倶舎論疏(しょ)』を出版した序文によって知ることができる。彼は、はやる心を押さえながら、1911年雨季明けのカルカッタでロス(D.Ross)に出会って以来のことを記している。ロスは中央アジアでスタイン卿(Sir Aurel Stein)が発見したウイグル語訳『倶舎論』の写本を研究していた。シチェルバツコイは大変な衝撃を受けたこと、それ以来『倶舎論』研究が国際的協力のもとで開始されるに至った経緯、1912年12月のパリでレヴィ(S.Levi)と会いその場で申し合わせた次のような研究計画を記している。(江島恵教「『倶舎論』サンスクリット・テキスト校訂について」『仏教文化』22,平成元年、pp.1-2、ルビ私)
本稿を執筆した江島博士は急逝(きゅうせい)したが、自身も『倶舎論』第1章の校訂出版を行ったり、弟子と共著で第9章の校訂出版を行うなど、『倶舎論』に関しては、かなり興味を抱いていた。
 


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