「倶舎論」をめぐって

LXXXV
さて、「三世実有論」に関しても、現銀谷氏は、チベット仏教からの情報を提供している。氏は、主に、シャーキャーチョクデンの注釈を用いて、次のようにいう。
 シャーキャチョクデンの解釈では、毘婆沙師の見解を、過去と未来とは実体(rdzas)として存在するが、実在(dngos po)〔としては存在〕しない。〔とする〕。…
 シャーキャチョクデンの主張の特徴は、実体〔rdzad=dravya〕と実在〔dngos po=bhava〕を区別して解釈していることにあり、経量部の自説に関しても過去・未来の二世を実在としては存在するが、実体としては存在しないと見なす。これは経量部の毘婆沙師への批判が過去・未来の実体存在の主張に向けられたものであり、ある事物の成立している時点から見た原因や結果の実在性に対する批判でないことが理解できる。(現銀谷史明 ゴンタ・ガワンウースン「チベットにおける三世実有思想の展開と受容」『東洋学研究』43,2006,pp.93-94、〔 〕内私の補足)
dravyaとbhavaを区別している、という指摘は傾聴に値する。だが、その訳語は、私には、納得出来ない。「実体」と「実在」では、事の真相は見えてこない。私はdravyaは「素材」bhavaはその素材によって作られた「集合体」と訳すべきだと考える。その評価はともかく、氏はこのような貴重な報告をした後に、ゲドゥンドゥプ ダライラマ1世の特異な論理学書『量の大論、正理荘厳』Tshad ma’i bstan bcos chen po rigs pa’i rgyanに説かれる
三世実有論を和訳紹介する。そして、以下のようなまとめを示している。
 倶舎論註釈書に関しては、今回はシャーキャチョクデンの著作を主に使用したが、無論彼の説がチベット一般の三世実有解釈とは言えない。特に経量部の過去・未来の二世に関しての解釈に関しては、例えば註記にも記したようにゲルク派のジャムヤンシェーパの倶舎論註では、過去・未来を非実在(dngos med)と言い、また絶対否定(med dgag)と解釈する。この解釈はシャーキャチョクデンの見解とは対立しており、このことは、チベット撰述の倶舎論註釈における毘婆沙師の三世実有思想の解釈の仕方が問題になるより『倶舎論』での世親の見解に関する議論の方に重点が置かれていると考えられる。そして、文献の性格上やむを得ないとは言え、『リクゲン』〔=『正理荘厳』〕に見られるように三世実有説は経量部の思想を陳述するに際して述べられており、内容も『倶舎論』の記述を踏襲した議論に留まるものであると言える。(現銀谷史明 ゴンタ・ガワンウースン「チベットにおける三世実有思想の展開と受容」『東洋学研究』43,2006,pp.100-101、〔 〕内私の補足)

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