「倶舎論」をめぐって

LXXXII
もう1つ不満なのは、『倶舎論』では、「二諦の説明は四諦の解説の付属として独立して述べられるのみで」という説明である。この「付属」という表現はprasanga(プラサンガ)の訳語と推測される。prasangaは、よく「傍論」と訳され、「付属」的議論をいう。現銀谷氏は、注においてこう述べている。
 〔『倶舎論』の〕二諦の解説は四諦の付属の位置しか与えられていない。ヤショーミトラ 註(AKVy.p.524,l.8,AKVy(P).274,184b6)、満増〔プールナヴァルダナ〕の註釈(LA.p.17,192b1.)では二諦を「傍論」として解説する。そしてこの二諦解説の位置ずけはチベット註釈書にも継承されている。(ThS.p.314,l.10)〔ゲドゥンドゥプダライラマ1世の『倶舎論』注〕(現銀谷史明「二諦と自性―チベットにおける〈倶舎論〉解釈の一断面―」『東洋学研究』39,2002,p.155の注8、〔 〕内は私の補足)
確かに、ヤショーミトラの注釈をみると、「二諦も〔云々〕というこのことは諦についての傍論として説かれるのである」(dve api satya iti-prasamgenedam ucyate,ed by U.Wogihara,p.524,l.8、'di ni bden pa'i zhar la smos pa yin no//北京版、Chu,184/6)とはある。この「傍論」という表現は一般的なものでもある。だが、私は、この「傍論」という訳語には納得出来ない。なぜなら、「二諦を四諦から切り離そうとする」世親の意図が感じられるからである。『大毘婆沙論』でも、二諦は四諦と絡めて論じられている。そして、『雑阿毘曇心論』でもそうであった。世親は『倶舎論』でそれと一線を画したのではないだろうか?伝統的な議論を解消するというのが世親の狙いであった、と私は見ている。故に、「傍論」と訳すのは、世親の意図を正しく反映しない可能性があるような気がする。「傍論」より「必然的議論」と訳した方が、世親の意図を理解しやすいのではないか。『倶舎論索引』によれば、多数の訳語があり、「傍論」の他に、「應」「難」「過」等がある。prasangaには、「必然的に~となってしまう」「~という過失に陥ってしまう」という意味はある。Monier・Williams(モニュエル・ウイリアム)のSanskrit-English Dictionaryにはincidentally「ところで、ついでに」という意味も示されている。また、second or subsidiary incident or plot「2次的なまたは補助的な出来事あるいは筋」という意味も提示されている。だから、「傍論」は決して間違いではない。とはいえ、「傍論」では、世親の意図を見失う可能性がある。繰り返すが、世親は、『倶舎論』で、二諦と四諦を結び付けて議論することを避けたのである。『雑阿毘曇心論』までの説一切有部の伝統を断ち切ろうとしているのだ。恐らく、誰から見ても至極客観的な実在論=二諦説を展開したかったのだ。そして、それに乗っ取って、はじめて、四諦の議論をすべきである、といいたかったのである。それ故、「傍論」はまずい。「必然性」というニュアンスをもたせるべきである。衆賢は、それを受けて、『倶舎論』の二諦説をそのまま引用し、そして、再び、二諦を四諦に結び付けた。説一切有部の伝統に戻ったのである。これが、現時点での私の考えである。
ケードゥプジェーmKhas grub rje (1385-1438)の『7部荘厳、心の闇を払うもの』Tshad ma sde bdun gyi rgyan Yid kyi mun sel,Varanasi,1988には、「zhal la ‘ongs pa(prasanga)の意味の考察」という1段がある。(pp.374-379)、内容は判然としない。しかし、冒頭に「その論証因の所証を確定する前に、遍充を確定することが、基本となる」de sgrub kyi bsgrub bya nges pa’i sngon du khyab pa nges pa’i gzhir gyur pa/(p.374,ll.21-22)という1文があった。つまり、「論証を行う個々のケースに先んじて、理由因と証明されるものの普遍的な必然関係を明らかにすべきである」とケードゥプジェーは述べているのである。そしてそのことがprasangaなら、必然的議論という訳への道筋はつくように思う。
 


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