「倶舎論」をめぐって

CXVI
次に日本の様子も、簡潔に伝えている。それも紹介しておこう。
 倶舎は我邦に於ても遂に独立する能はずして、唯大乗仏教入門として研究され、単に学として存在されたりき。西暦六五三年南都法相宗の道照等入唐し、玄奘に面会して、之を伝ふるに始まり、以来南都及び叡山、三井寺等に最も盛んなり。頌疏及び遁麟記、慧暉鈔は、円珍の将来する所なるを以て、叡山及び三井寺にては常に頌疏を用ひ、叡山の源信は正文一巻。定珍は私数巻。次に三井の円元は禅談抄一巻。兼範は大雲鈔五巻。尊宝は鈔二十八巻。尊契は鈔三十二巻。慧範は私九巻を著せり。又南都にては本論及び頌疏共に之を用ひ、東大寺の珍海は倶舎論明眼鈔六巻。宗性は倶舎論本義鈔四十余巻。英憲は頌疏鈔三十二巻。楽円は頌疏初心鈔。蔵円は倶舎論大義鈔。聖禅は同三季鈔及び愚意鈔。尭円は同鈔。定春は同記。又興福寺の清慶は頌疏略箋六巻。薬師寺の基弁は同講資二巻を著せり。我邦に於ける倶舎の本場は真言宗にして、先ず野山にては、秀翁は頌疏世間品科注五巻。倶舎論図記四巻。妙瑞は同義釈一巻。光厳は得拾逢源一巻を著し、次に根来にては、定俊は頌疏鈔。又豊山にては、周海は倶舎論義演三十六巻。隆山は同述聞十四巻。法住は同聞書五巻。快道は同玄談一巻。同法義三十巻。同略法義五巻。恵隆は同権衡一巻。快道及び恵隆は、其他小部の諸論文を草し、次に智山にては、道空は頌疏講輯一巻。海応は倶舎論玄談一巻。同得魚編三巻。同講義十巻。薩婆多部二巻。信海は同玄談一巻。近代に至て龍謙は同記数巻。校刻倶舎論三十巻を著せり。他に下総の大元は倶舎論講要義林三十七巻。近代に至て泉涌寺の旭雅は冠導倶舎論三十巻。校訂光宝二記各三十巻。倶舎論分科三巻。同名所雑記六巻。同聞書一巻。同大意一巻を著して、大に倶舎学研究の爲に力めたりき。就中豊山の快道、泉山の旭雅は斯学の宗匠にして、前者は主に法宝を承け、後者は主に普光を継ぎ、遂に豊山系統と智山(及び泉山)系統との二流派を生ずるに至れり。而して快道は破我別論の唱道者を以て名あり。概して真言宗は本論の研究に従ふもの多し。次に浄土宗にては、湛慧は倶舎論指要鈔三十巻。定月は頌疏冠註講林析条一巻。普寂は同要解十巻。同懸叙一巻。同分科一葉を著し、西山の顕慧は、頌疏序補註一巻を著せり。其他長善は頌疏私六巻。鳳湛は頌疏講苑二十九巻。天海は聡明論至要編三巻。神光は頭書考正世間品頌疏五巻。上総の倶舎刑部阿闍梨は五位七十五法名目一巻。伊勢の宗禎は有宗七十五法記三巻を著せり。又真宗本願寺派にては、慧鎧〔ガイ〕は倶舎論講録八巻。桂湛は同玄談一巻。同正義十五巻。宝雲は同玄談一巻。同録三巻。同記三十巻。南渓は同記六巻。慶忍は同録六巻。近代に至て藤井玄珠は校註倶舎論三十巻。倶舎論玄談一巻を著せり。次に我大谷派にては、法憧は倶舎論稽古二巻。法海は同講義十巻。澄玄は同講述十巻。了願は同講義数巻。宝成は同記四十六巻。龍温は同講義十九巻。法宣は同講義十巻。正純は同講録十六巻。徳霖は同乙卯〔オツウ〕記二十三巻。南条神興は同講判十二巻。楠潛龍は同講義数巻。同百論題決擇記二巻を著せり。而して隣山にては、近代藤井玄珠、簗瀬我聞の二師、豊山系統を承け、又我派にては南条神興、楠潛龍の二師、智山系統を継ぎ、図らずも今尚東西両大学に於て此傾向あるは、吾人の大に注意すべき点なり。加之最近露国の大学卒業生オットー、ローゼンベルヒ氏遠く我邦に来りて、東京に於て露訳倶舎論の著作に従事しつゝありといふは、斯学勃興の一端として、吾人は之が注意を怠る可からざる也。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年、付録「倶舎小史」pp.43-46,〔 〕内私の補足、1部現代語表記に改めた)
日本の『倶舎論』研究の盛況振りが伺える。最後に、ローゼンベルグのことに言及しているのも興味深いものがある。このように、流派を形成して、その是非を論じるほど、伝統倶舎学は隆盛を極めていたようであるが、最早、この伝統も消えてしまった。舟橋博士には、他に『倶舎論講義』(昭和8年初版、昭和51年再版)という大部の著書もある。その序論では、上で見た説が、同じように示され、本文で、『倶舎論』頌の漢訳を全章に亙り、
解説している。我々としては、次の伝統倶舎学の著作に、目を通してみよう。

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