仏教余話

その9
実際に会議で読まれた内容の一端を紹介してみよう。
 我々は、多様性の世界に誕生する。ある者は貧しく不幸、他の者は金持ちで幸福。多様なる状態は、幾度となく、来世で繰り返される。だが、誰に我が身の不幸を嘆くのか?自分自身以外の誰でもない。我々は自分自身で報いを得るのだ。そうならば、未来に向けてなすべきことがあろう。もし、寿命を決めるのは誰かと尋ねるなら、因果律と言おう。誰が彼に幸福をもたらし、私に不幸をもたらしたのか?因果律である.頑健さ、幸福感、恵まれた才能、不自然な苦痛は、因果律の逃れられない現われであり、それは宇宙のあらゆる細部、人の営みのすべての部分を司る。仏教徒の倫理について尋ねるのか?仏教で、倫理的規範の源は、因果律であると、答えよう。来世に栄冠を与えたければ、親切であれ、平等であれ、慈悲深くあれ、正直であれ。不正直、残酷、無慈悲は、悲惨な末路を運命付ける。(Shaku Soyen,The Law of Cause and Effect,as Taught by Buddhas, ,The World’s Congress of Religions at the World’s Columbian Exposition,足羽與志子『復刻版 万国宗教会議』2006,p.390)
大拙について、他に、1・2引用しておこう。末木文美士氏はこういう。
 大拙の禅学の特徴は、第一に、禅を宗門の特殊な言葉ではなく、一般の知識人に理解できる普遍的な言葉で語っているということである。(末木文美士『近代日本と仏教 近代日本の思想・再考II』2004,p.199)
末木氏は、手厳しい大拙批判をも示して、以下のように述べる。
 大拙は必ずしも戦争中の国家主義者、日本主義者と同一に論ずることはできない。しかし、大拙は具体的な歴史状況にたいする認識が弱く、結果的には政治の現状を追認することになり、それに対する抵抗を行うことができなかった。戦争が終わって神道批判が自由にできるようになってから激しい神道批判を行うが、戦争中の国家神道の時代にはその問題に触れることがなかった。中国旅行の感想として、「文化的に日本と民国との固き連盟をやらなくてはいけない」と言っているのは、日中の協力を説いたものであるが、現実には結局、日本の侵略を認めることになってしまうのである。(末木文美士『近代日本と仏教 近代日本の思想・再考II』2004,p.202)
しかし、この批判も少々手厳しいと思われる。大拙は、こう述べているからだ。
 日清・日露の両大戦役の後を受けたるが故なりと曰わば曰うものの、軍人の跋扈は余り心地よく思われぬものなり。米国において軍服がましきものを見るは、宿屋の召使位なものなれど、英国に渉れば、多少の兵隊を見る、而も目に立つほどにあらず。仏国に行き、独逸に旅するに及びて、始めて国を挙げて一大軍隊的組織なるを見る。露国に至りても同様なるべしと信ず。而して其最も甚しく思わるるは、日本に帰りてなるべし。これ一は我国の事情を知り、また軍人全盛の実際を覚り得べき機会に触るること多きに由るべし。されど其余りよき心地せざるは、何国に在りても然り。身自ら軍人となりて時めくに至れば、兎に角、今日の身の上より見れば、軍人の優遇は分に過ぎたる如く思わる。其上平気に観じ来たりても軍人の偏重は決して国家のために祝すべからざるものと予は信ず。(「緑陰漫語」『鈴木大拙全集』別巻一、補遺一、昭和46年、p.229,『新仏教』11-6,7初出明治43年(1910年))
第2次世界大戦に至る、軍部独裁が横行する時代において発言に気を配るのは当たり前である。そこを批判するのは気の毒としか思えない。自分だったら同じ状況で戦争批判出来たとまでは言えまい。


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