「倶舎論」をめぐって

LIX
2つ目は、スティラマティ(Sthiramati,安慧)の『真実義』(Tattvartha,タットヴァールター)である。これのサンスクリット語原典の調査は始まったばかりである。この進捗状況については、『印度学仏教学研究』58-2,2010年のパネル発表報告において、箕浦暁雄氏がこう述べている。
 ポタラ宮に所蔵されてきたスティラマティの『倶舎論実義疏』サンスクリット写本の解読研究が、小谷信千代を代表とする研究班によって開始された。当該写本は悉曇文字で書かれ、書写年代は9世紀を下らないと推測される。写本の欠落箇所あるいは判読不可能な箇所はチベット語訳とよく一致する。…チベット語訳の読みを修正するためにも、また〔衆賢作〕『順正理論』の記述を再評価するためにも、この写本が重要な資料となることを紹介した(p.860,〔 )内私の補足〕
サンスクリット原典の有る無しでは、研究の正確さがまるで違うので、大いに期待出来るのである。さて、『真実義』は、『阿毘達磨倶舎論実義疏』として漢訳もされたが大部分は失われた。しかし、断片が現存して、大正大蔵経に見ることが出来る。櫻部建博士は、この漢訳が如何に異様なものであるか、次のように述べている。
 安恵(スティラマティ)の『倶舎論実義疏(タットヴァールタ)』の漢訳はたいへん奇妙なものである。パリの国民図書館所蔵の敦煌本に基ずく大正新修大蔵経所収本(大正第一五六一。第二九巻三二五頁以下)は、大正大蔵経の版にして三頁強しかないから、もとより「惣二万八千偈」といわれる中のほんの一部分が存するに過ぎぬものである。しかも、そのわずか三頁で『実義疏』巻一から巻五までに亘っており、倶舎本論にすると第一界品の初めから第三世間品の途中までに当たるのであるから、これは完備した一篇の書の一部分が残ったというより、むしろ甚だしい抄出本、極度な抜き書きの一部という他ないものである。…いずれにしても、あまりに甚だしい抜き書きであるため、これだけを通読したとしても、到底倶舎論のこの部分の内容を理解することにはならない。そうすると、どういうわけでこのような抜き書きが作られたか、という疑問が生ずるが、おそらく何か備忘のためのメモといったものとして成立したと見るより仕方がないように思われる。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(二)」『毘曇部第十四巻月報 三蔵』105、昭和50年、pp.95-96)
漢訳からの重訳であるウイグル語訳もある。チベット語訳では、ほぼ全文が活用出来る。北京版No.5875である。チベット語訳については、ネットで「本庄良文先生作成チベット訳『倶舎論実義疏』ノート」なるものが紹介されている。「『倶舎論実義疏』(北京版)を切り貼りし、『倶舎論』本論の場所やデルゲ版対応箇所を記したノートです。」という説明が加えられている。dvd等で入手出来るようである。私は未見だが、あれば、大いに便利なものだと思う。また、福田琢氏の書評によれば、ウイグル語訳の全文が、庄垣内正弘『古代ウイグル文 阿毘達磨倶舎論実義疏の研究I』~『III』1991-1993において近年邦訳されたそうである(福田琢 「書評・紹介Marek Mejyor: Vasubandhu’s Abhidarmakosa and the Commentaries Preserved in the Tanjur」『仏教学セミナー』60,1994、p.85)。少し、見てみたが、思想的なアプローチというより、ウイグル語という語学的側面に重点を置いているようで、私のような研究スタンスを取る者には、不向きなような印象を持った。ネットで調べてみると、同じ著者が『ウイグル文アビダルマ論書の文献的研究』を2008年に出版していることもわかった。私は未見である。


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