Tips of Buddhism

No.33
It is a Japanese way of thought that dead person is generally called
Hotoke(Buddha).There is a problem also concerning the derivation of the Japanese word Hotoke,but it is certain that corresponds to the Sanskrit Buddha and the Chinese expression Fu t’o.There dose not exist in Buddhist thought the idea that all men become Buddhas when they die.( Shoko Watanabe,Japanese Buddhism-a critical appraisal-Tokyo,1964,p.95)

(訳)
日本の思考様式では、死者は、一般的に、仏(ブッダ)と呼ばれる。日本語の仏の由来に関しても、問題もあるが、確かに、サンスクリット語のブッダ、中国語の「フト」に対応する。仏教思想には、死後、一切の人がブッダになるという考えは存在しない。
 
(解説)
日本人には、当たり前の考え方だが、「死ねば仏」という通念も、「本覚思想」がバックボーンかもしれない。日本を代表する、中村元博士の説明を、以下に、紹介しておこう。
 ブッダはもともと「めざめた人」という意味もあり、英語では、“the Awakend One”ドイツ語では、“der Erwachte”と訳す。budhとは眠りからめざめることをいう。われわれ凡人は無明の迷いによって夢の中にまどろんでいるようなものである。しかし真理を知ることによって、「はっと目覚めた」人、-それが「ブッダ」なのである。…仏教以前、さらに仏教の興起した時代における「さとり」は特定の宗教には関係が無かった。…ジャイナ教でも古い聖典によると、いかなる宗教の人でも、聖人・賢者はすべて「ブッダ」と呼ばれていた。…ゴータマ・ブッダ(釈尊)に由来する宗教もその態度を受けていた。『スッタニパータ』のような古い聖典では「ブッダ」とはただ聖人・修行者のことである。どの宗教の人についてでも適用された。ところが仏教が一つの宗教として発展し、既成宗教となると、ブッダは凡人から遠く隔たったものとなったのみならず、修行者一般とも区別された超人的存在と見なされた。…さて神格化された、人間ばなれのしたブッダは、シナ文化の伝統のうちにはその対応概念を見出すことができなかった。そこでシナ人は「佛」という感じを作り出して「ブッダ」という語の音を写した。…こういう音写を用いたということは、シナ人がブッダを、東アジアの伝統のうちには見当たらぬ異質なものとして受け取り、またそのようなものとして人々に印象づけようとしたことをものがたっている。…ただブッダを「佛」という字が音写したときには一種の合理的思惟もはたらいていたらしい。「沸」は水が沸騰して蒸気となる現象をともなっている。その場合には「水にして水にあらず」という意味で、否定詞の「弗」がつくりに加えられている。その類推が許されるならば、「佛」は「人にしてしかも人にあらざるもの」すなわち「もとは人間であったが、今は超人的存在」となっているものを意味し得たのではなかろうか?(中村元「ブッダとは?」『現代思想 臨時増刊 総特集 インド文化圏への視点』1977,vol.5-14,pp.8-9)
 
 
 


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