「倶舎論」をめぐって

LIII
この木村博士の研究を受けて、渡邊楳雄・水野弘元両博士も、説一切有部の思想動向に触れて、以下のようにいう。
 論書婆沙には組織の不完全といふ缺點を有した。即ち婆沙の組織は〔全時代の代表的著作〕發智を襲つて雜蘊乃至見蘊の八蘊に分類されてゐるが、その分類たるや何等の統一原理に基いてゐない。且つ婆沙論は餘りにも緻密である爲に餘りにも複雜で初學者をして法相の全貌を摑ましむることが困難である。今日でも婆沙のみによつて有部の教理を全體的に見透しを付けることは極めて困難であらう。事情は往昔に於ても同様であつた。故にこれを幾分簡潔にして讀者の便にする爲にその綱要書が作られることは當然である現存の十四巻ビ婆沙はその一例であり、その他多くの類似の努力があつたことは西域記等の傳ふる所である。但しこれ等の綱要書は飽く迄も婆沙の組織に依り八犍度分類である。この舊套を脱しない限りは決して教理を統一し組織立てることは出来ぬ。その組織化運動の先鋒となつた者が法勝の阿毘曇心論である。即ち第三期に入るのである。阿毘曇心論は發智以来の八犍度分類法に依らず、新たなる組織即ち界品乃至論品の十品としては大體四諦の順序に纒め、その容積も婆沙論にある厖大なるものを約二百五十の偈に約め、これに簡単な長行を附したのである。然しこの論も餘りに簡略である爲に初學者にはやはり向かない。…以上の如き事情の下に雜心論は発生したものであり有部論書第三期の集大成である。…雜心と倶舎との関係も既に故木村博士によつて論ぜられてゐるが、こゝにも一應の比較を試みよう。雜心は法勝毘曇の約二百五十の略偈に約三百五十の偈を加へた爲に新舊の偈は幾分重複したり、粗細の別が生じたりせざるを得なかつた。法救は法勝の偈が餘りに簡略であつた爲に、時には一偈を數偈に改作し、時には舊偈を再び數個の新偈によつて繰返した。一方雜心の偈と説明には右の如き無理があり、又他方には法勝毘曇以来の論全體としての組織統一に不完全が存在した。即ち前にも述べた如く最初の界品乃至定品は組織が整つてゐるが、後の修多羅品以下は前の部分の補遺であつて何等統一がない。故にこれを全一のものとするにはどうしても修多羅品以下のものを前部に織込まねばならぬ。この難點を除く爲に作られたのが世親の倶舎論である。倶舎は大體第三期の綱要書に則つて作られてゐる。然し、その缺點たる後半の諸品を除去し、前半の諸品を整理し、更に廣く更に深くして改造し、界品乃至定品の八品を以て整然たる組織となした所に倶舎の特徴があり、千古不滅の價値がある。…兩者の相違を求むれば、先ず倶舎はその議論が緻密にして微細を極め、殊に經部等の説を紹介して甲論乙駁せしめ以ていかに世親が才気煥發であつたかを思わしむるに反して、雜心は單に正統有部の説を婆沙によつて紹介説明し、餘他の異論を擧げたのは僅々に止まり、その説く所も倶舎の如く該博に至らず、倶舎の幾分異端的なるに反して、忠實なる有部の綱要書である。(渡邊楳雄・水野弘元『国訳一切経 毘曇部 二十』解題、昭和7年、pp.9-16)
これで、『倶舎論』作成までの、説一切有部内の動向はつかめたとしよう。

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