仏教余話

その110
では、もう1つの基本聖典『瑜伽師地論』についても、基本的な知識を述べてみよう。先にも引用した兵藤一夫氏の簡潔な解説を見てみよう。兵藤氏はいう。
『瑜伽論』〔=『瑜伽師地論』は瑜伽行派にとって最も重要な所依の論書であり、漢訳とチベット訳が完本としてあり、梵本が一部現存している。著者は玄奘の伝承では弥勒(マイトレーヤ)とされ、チベットの伝承では無着とされる。(兵藤一夫『初期唯識思想の研究ー唯識無境と三性説―』、2010,p.8)
また、兵藤氏は、『解深密経』と『瑜伽論』との関わりに触れ、次のように述べる。
『解深密経』は『瑜伽論』と密接な関係があり、特に『解深密経』「分別瑜伽品」は、『瑜伽論』本地分の「声聞地」…や「菩薩地」…と関わりが深く、前者は後者を踏まえて論が展開されている。(兵藤一夫『初期唯識思想の研究ー唯識無境と三性説―』、2010,p.32)
実は、あの三蔵法師玄奘が、インドへと旅立ったのは、『瑜伽師地論』の原典を求めたことが、最大の動機だった。袴谷憲昭氏は、旅立つ前の玄奘の様子を、こう綴っている。
長安の、当時〈無着作の唯識論書〉『摂大乗論』に関して最も権威あると思われた二大徳にしてこの有様であった。最早、『摂大乗論』のまわりをいくらぐるぐるめぐってみても始まらぬ。どんなに気のきいた折衷的解釈も、所詮は一つの解釈にすぎない。残された道はただ一つ、翻訳の背後に隠された唯一つの原典、それを求めるほかはない。玄奘のつきつめた気持ちはそういう一点に凝集していったにちがいないのである。…この間の事情を、〈玄奘の伝記〉『慈恩伝』は、…次のように述べている。
 玄奘はこれまでも、あちこちでいろんな法師に見え、ことごとくその説を玩味し、詳細にその道理を検討してみたが、それぞれが自分のよっている根本的立場を至上なものとしており、これを仏典に検索しても、陰に陽に微妙に異なっていて、なにをたよりにすればよいか知りようもない。そこでインドに赴いて疑わしく思う点を問い質し、同時に『十七地論』〈=唯識派の根本聖典『瑜伽師地論』の古い漢訳名〉を求めてさまざまな疑いをはらしたいと心に誓った。〔こうして将来されたものが〕現在の『瑜伽師地論』にほかならない。(袴谷憲昭「仏教史の中の玄奘」、桑山正進・袴谷憲昭『玄奘』1981,p.193)
後に、唐で名を挙げた玄奘の若き日の姿である。

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