「倶舎論」をめぐって

LXXXIX

山口博士が、『倶舎論』研究の1つの到達点として、その偉業を讃えたプサンのフランス語訳は、現在では、英訳版が出ている。Leo M.Pruden(English Translation:Abhidharmakosabyasyam by L.de La Valle Poussin,vol.1-4,Berkeley,1988-1990がそれである。その中の「訳者序文」から、翻訳に至った経緯などを、紹介しておこう。
 1964年から1966年、私は、東大印度学仏教学部門に属していた。そこで、平川彰教授の下、凝然の『律宗綱要』を学んでいた。テキストの研究を終え、平川教授に、次の研究は何がよいか、尋ねた。平川教授は、教授の専門である律を続けたいか、と聞いてきた。私は、別分野の仏教を学びたいと答えた。すると、平川教授は、伝統的手法で、つまり、世親の『倶舎論』でもって、仏教哲学の学習を始めることを薦めた。それはよい考えだと、私は応じ、そして、研究の新方向が決まった。平川教授は、『倶舎論』哲学を扱うセット本を与えてくれた。10巻本の『倶舎論講義』である。それは、桜井寶鈴師(1861-1923)による238回の『倶舎論』連続講義を編纂したものだ。…桜井師の著書は、極めて有益な学的ツールであった。というのは、彼の講義は、玄奘の漢訳『倶舎論』と玄奘に直に接し著作した法宝と普光の中国注に基づいていたからである。私は、1996年の6月に桜井師の著書を読み始め、数ヶ月で読了した。…私は、アメリカに帰国するに当たり、手書きの『倶舎論』梵文テキスト第1章を手に入れ、熱心にテキストを研究し始めた。自分の研究と講義の助けとして、私は、プサンのフランス語訳『倶舎論』を英訳した。…第1章ではなく第9章(「破我品」から始めた。…2年に渡り、ブラウン大学の「仏教文献講読演習」の1 部として、この章を講じた。この章の講読は、初期の思いを確乎たるものにしてくれた。つまり、『倶舎論』は、オリジナル梵本から理解するのがベストであるということである。それで、プラダンの梵元本と比較しながら、プサンのフランス語訳の第1章を訳した。そうして、原本と照合しつつ、プサン仏訳の全訳する仕事が始まった。(Leo M.Pruden(English Translation:Abhidharmakosabyasyam by L.de La Valle Poussin,vol.1,Berkeley,1988、pp.xxii-xxiii)
こうした経緯で、プルデン氏の訳業はなったわけである。ちなみに、同氏が、最初に接した桜井寶鈴『倶舎論講義』は、本学図書館にも所蔵されている。詳しくは、『阿毘達磨倶舎論講義』(1893)で、9巻本である。2巻目が上・下巻に分かれているので、10巻と表記したのだろう。プルデン氏のことは、ともかくとして、山口博士の記述からは、翻訳に対する博士の並々ならぬ綿密さが伝わってくる。先に触れたが、現在では、サンスクリット原典があるのが当たり前、そして、インド撰述注の状況も、非常に整っている。こういう中では、簡単に原典を見て、易々と注釈と照合出来る。それが余りにも、当然なので、『倶舎論』の原形がどういうものであったか、という基本的な疑問も忘れがちである。しかし、それは、未だに見果てぬ夢である。『倶舎論』の原形は、まだ確定していない。山口博士の時代には、見ることが出来なかったチベット撰述の注釈も、今は、楽に披見出来る。我々としては、その状況を慶賀として、博士の研究を1歩前進させねばならないのである。それは、博士達が責務としたであろう学問的姿勢であろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?