仏教余話

その59
ハウスホファーの著書に、1部のみ、触れておこう。彼は、こう語っている。
 内外より十字架に掛けられた此の民族が、何故か全世界に亙つて、さなきだに僅かに本国土地の五倍を算するに過ぎなかつた、其の呼吸空間(Atenmraum)を失つたのであろうか!之に対してイギリス人のそれは同九十倍、オランダ人のそれは同六十六倍、フランス人のそれは五十倍を数えてゐたのである。他無し、此の民族が此の空間を、就中其の太平洋領土及び島嶼版図を、未だ甞て民族として心より所有したことも無く、精神的財産として取得したことが無かつたからである。然るに全民族は、権限争ひの狭量、世界観の角突合よりして、しかし亦、組織せられたる嫉視の階級憎悪よりしても、世界市民的に幻惑せられて之を懈怠したのである。…太平洋に於ける地理と歴史との共同作用、相互関係に関する研究は、此の民族を海外の現実の看取へ誘掖せんとする一の試たらんことを期したものである。此の目的の為めに筆者は、熟慮の末に、遊星上、われわれの反対側に在る太平洋の領域を選んだ。それは、今日のドイツ人にー筆者に経験に依ればー最も縁薄き、しかも尚ほ且つ最も将来に富む領域、地球上これまで交通に依つて征服せられること最も少なかつた領域だからである。随つてそれを民族的同胞達に、彼等の日常生活の先入見に依つて累せられ、損はるること莫しに、筆者の眼に現実に映じたる儘に示すことを得たー但し謂ふまでも無く主観的真実に於いてである。何となれば、客観的真実は地政学に於いて殆どあり得ない。かくあらんが爲めには、地政学は、其の芸術的、創造的一面を以って、地球上の生々進化(Werden)に、勢力転変に余りにも近く立つて居るからである。(ハウスホーファー著、太平洋協会編訳『太平洋地政学』昭和17年、pp.542-543)
ドイツのみが、植民地を失い、不利益を蒙っているので、太平洋で失地回復を図る、そういう思惑を、地政学という学問としているのである。要するに、侵略するための情勢を図る学問である。昭和17年の訳であり、日本も同じような意図をもって、戦争していたことは、誰しもが知っていることだろう。

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