「倶舎論」をめぐって

LXV
また、プールナヴァルダナの注釈を実際に読んだ印象をいえば、まず、簡潔である。そして、多分に論理的である。注釈書としての完成度は、諸注釈中、白眉であろう。
さて、インド撰述の代表的3注釈の相関関係については、まだ充分な比較検討がなされている状況ではない。中でも、プールナヴァルダナ注は、最も、研究が遅れている。これに関連して、小谷信千代・本庄良文両氏は、こうコメントしている。
 われわれは『倶舎論』研究の新たな局面を切り開いていくことを決意した。チベット訳のみに現存するために、これまで本格的に研究されることなく残されてきた、満増〔プールナヴァルダナの倶舎論疏の解読研究にとりかかることとしたのである。かくして平成十一年の五月から満増疏の輪読会は始められて。…満増の注釈が安慧〔スティラマティ〕に極めて近いことはよく知られている。船橋一哉先生は満蔵疏と安慧疏は「世品」「業品」では九割近くまで文々句々の一致を示すが、安慧や満蔵が称友疏を参照した形跡はないと考えてられていたようである(櫻部建「破我品の研究」『大谷大学研究年報』第一二集、一九五九、三一頁)。しかし、実際には、ここに訳出した「世品」の満蔵疏の中には称友の注釈の言葉がかなりの頻度で認めらる。満蔵は師事したとされる安慧の注釈のみならず、称友の注釈をも参考にして自らの釈疏を造ったものと考えられる。本稿は、年代や系統の不明確なこれら阿毘達磨論師たちの立場を解明するための、一つの手懸りともなるであろう。(小谷信千代・本庄良文「『倶舎論 世品』本論・満蔵疏訳注(一)」『櫻部建博士喜寿記念論集 初期仏教からアビダルマへ』2002,p.117)
このようにプールナヴァルダナ注の研究は、まだ、緒に就いたばかりである。しかし、この小谷・本庄両氏のコメントには、江島博士への言及がない。江島博士の見解を無視し、それより後退した発言をしているように見える。

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