Tips of Buddhism

No.57
We are born in the world of variety;some are poor and unfortunate,others are welthy and happy.The state of variety will be repeated again and again in our future lives.But to whom shall we complain of our misery?To none but ourselves.We reward ourselves;so shall we do in our future life.If you ask me who determined the length of our life,I say,the low of causality.Who made him happy and made me miserable? The law of causality.Bodily health,mental wealth,wonderful genius,unnatural suffering are the infallible expressions of the low of causality which governs every particle of the universe,every portion of human conduct.Would you ask me about the Buddhist morality?I reply,in Buddhism the source of moral authority is the causal law,Be kind,be just,be humane,be honest,if you desire to crown yure Future. Dishonesty,cruelty,inhumanity,will condemn you to a miserable fall.(Shaku Soyen,The Law of Cause and Effect,as Taught by Buddhas, ,The World’s Congress of Religions at the World’s Columbian Exposition,2006,p.390)

(訳)
我々は、多様性の世界に誕生する。ある者は貧しく不幸、他の者は金持ちで幸福。多様なる状態は、幾度となく、来世で繰り返される。だが、誰に我が身の不幸を嘆くのか?自分自身以外の誰でもない。我々は自分自身で報いを得るのだ。そうならば、未来に向けてなすべきことがあろう。もし、寿命を決めるのは誰かと尋(たず)ねるなら、因果律(いんがりつ)と言おう。誰が彼に幸福をもたらし、私に不幸をもたらしたのか?因果律である.頑健(がんけん)さ、幸福感、恵まれた才能、不自然な苦痛は、因果律の逃れられない現われであり、それは宇宙のあらゆる細部、人の営みのすべての部分を司(つかさど)る。仏教徒の倫理について尋ねるのか?仏教で、倫理的(りんりてき)規範(きはん)の源は、因果律であると、答えよう。来世に栄冠(えいかん)を与えたければ、親切であれ、平等であれ、慈悲(じひ)深(ぶか)くあれ、正直であれ。不正直、残酷(ざんこく)、無慈悲(むじひ)は、悲惨(ひさん)な末路(まつろ)を運命付ける。
(解説)
1893年シカゴで、第1回万国宗教会議が開催された。脚光(きゃっこう)を浴びたのは、東洋人の講演であった。日本からも多くの参加者があり、この英文は釈宗(しゃくそう)演(えん)(1860-1919)(臨済宗(りんざいしゅう)円覚寺(えんがくじ)管長(かんちょう))のものである。同行した鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(1870-1966)が英訳したと言われる。釈宗演の講演に感激した1人にシカゴの宗教家ポール・ケーラス(Paul Carus,1852-1919)がいた。ケーラスは、当時鈴木貞(てい)太郎(たろう)と名乗っていた大拙を雇(やと)い、宗演に教えられた仏教の因果法を一般に理解し易い因果応報の物語に改編し「カルマ」と題して自分の経営する雑誌『オープン・コート』に掲載、また自著『ゴスペル・オブ・ブッダ』を書いて宗演に送った。この両編は鈴木貞太郎によりそれぞれ『因果(いんが)の小車(おぐるま)』、『仏陀(ぶっだ)の福音(ふくいん)』と訳され日本でも刊行されている。『因果の小車』の中に盗賊犍陀(かんだ)多(た)の登場する蜘蛛(くも)の糸(いと)の話があり、これを芥川龍之介が借用することになった。
また、宗演は、夏目漱石が円覚寺で参禅した際の指導を行ったことでも知られる。両者の関係について次のような記述がある。
漱石は晩年にも宗演を訪ねたことがある。そして漱石の葬儀(そうぎ)では導師(どうし)をつとめることになる。因縁(いんねん)浅(あさ)からぬ宗演は次のように述べている。
  元来が江戸っ子に生まれて、清廉(せいれん)な気稟(きひん)を有(も)つていた氏は、生まれながら禅味(ぜんみ)を帯び た人柄であつたと思ふ。しかしながら、氏の禅の修業は、修行としては大したものではなかつた。修行は大したものでは無かつたが、氏の性根(しょうね)が仏教乃至(ないし)東洋思想の根本に触れて居たことは知れる。(今西順吉『漱石文学の思想 第一部 自己形成の苦悩』1988,p.340、1部標記変更、ルビ私)
漱石は禅に傾倒(けいとう)したとされるが、それは最晩年(さいばんねん)の話であり、当初は疑惑の目で禅を見てい
たようである。

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