仏教余話

その206
ここで、もう1つだけ、混沌とした明治仏教の一面を伝える出来事を紹介しておこう。今まで見てきた明治仏教は、西欧化の波を被ってアップアップしているようなイメージであった。だが、明治仏教の実力は、これで駄目になるほど柔なものでもなかったのである。驚いたことに、明治時代、日本仏教にあこがれ、とうとう留学した学者もあった。その人物は、ドイツ系ロシア人で、ローゼンベルグ(Otto Rosenberg,1888-1919)という名である。彼は、早世したが、優秀な『倶舎論』研究者で、今日、猶、彼の著書『仏教哲学の諸問題』(Die Probreme derBuddhistischen Philosophie,Heiderberg,1924)は読み継がれているのである。彼は、世界的な学者シチェルバツキー(Th.Scherbatsky)の弟子に当たる。その事跡を簡単に辿ってみよう。師シチェルバツキーは、日本留学までの経緯を、こう述べている。
  彼〔ローゼンベルグ〕の大学時代すでに、私〔シチェルバツキー〕は、世親作『倶舎  論』の重要性に注意を払うよう導いた。ペテルスブルグアジア資料館では、チベット語、中国語、サンスクリット語の文献が豊富に利用出来たので、彼はその研究に取り組んだ。1911年、カルカッタで、私は、日本人僧侶やまかみじょうせんと知り合いになった。彼は、そこの大学の長であった。私は、彼から、日本の『倶舎論』研究の多くの興味深いディテールを学んだ。その伝統的解釈などである。その伝統は、まだ、日本で生きているのである。私はこのことをローゼンベルグに書き送った。彼は、現地で伝統的解釈に通じるために、日本行きを決意した。…1916年夏、ローゼンベルグは日本からセントペテルスブルグに戻った。…ローゼンベルグは…彼の博士論文の準備と印刷に邁進した。それはすでに日本で青写真が出来ていた。「仏教哲学の諸問題」と題されていた。(K.Kollmar Paulenz,J.S.Barlow:Otto Ottonovich Rosenberg and his Contribution to Buddhology in Russia,1998,Wien,p.51)
ここからは、『仏教哲学の諸問題』が日本の倶舎学を背景として著されていることが読み取れる。

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