仏教余話

その68
ついでながら、この古く偉大なる先学荻原雲来の姿を伺ってみよう。今日では、もうあまり名前を聞くこともない人物に渡辺海旭という僧侶がいる。彼は、荻原雲来の年来の友であり、一緒にドイツ留学もした仲である。中々に辣腕家であったらしい。その渡辺氏が、荻原博士の消息を伝える「独有(荻原雲来氏)の帰郷を送る」という1文を草している。その中から適宜、引用して、博士の姿を抽出してみよう。
 理科や医科の方では大分研究が世界的になつて来て、世界の学壇に横行闊歩して吾国の為に気炎を吐く人々も稍々見受けるが、哲学や文学と来ては実以て話にもならぬ憐れな有様である。この憐れむべき吾国学界の寂寞を破らむ為に、吾が親友独有は今帰朝するのだ、彼が六年の間薀蓄し精錬した学術を以て、吾国を荘〔さか〕らむ為に今帰朝するのだ。吾宗はこの有為な世界的の一学者を得たことを深く賀してよかろう、大いに誇ってよいだろう。…彼は勿論最初から「ドクトル」の学位などは眼中になかつたのだ。勿論こんな児戯に類する看板が、真正の学者に必要な筈もないのだ。実際の所、彼の力量は紛々たる独逸の少壮「ドクトル」連に比して、どの位上だつたか知れぬのであつた。彼が獅子賢の大品般若釈論の研究の如き、彼の様な明晰な頭脳と、完全なる大蔵の知識がなければ、到底出来たことではないのだ。称友の倶舎論釈論もそうで、論蔵知識の皆無な欧州学者には一紙も読過することは出来まい、最も吾宗学の為に祝してよいのは瑜伽論の梵本を発見したことだ。…であるから、眼のある学者連は夙に彼を畏敬して、窃〔ひそか〕に、老学者を以て彼を遇して居つた。「ケムブリツジ」のベンダヲル博士や「ガン」のプサン博士や「ライデン」のスパイヤー博士などは、現時仏教梵語の大関横綱とも云ふべき人達であるが、彼に対して頗る敬服して、時々著書を贈つたり質問をよこしたりしたのである。…八月一日だつた、彼は〔留学先の師〕ロイマン翁が重ね重ねの勧告に従いて、形式的に「ドクトル」試験を通過することにした。…其夜は久しぶりで沛然たる大雨だつた。連日の炎暑にこの雨で疲れきつて居る予が精神が蘇息した所へ、独有の受験が大満足を以て結了したので、余は何とも言えぬ愉快を感じた。其上吾がロイマン先生は特に其最愛の門下生のために、此地在留の日本留学生は勿論、門生知己の人々を招いて、大学前のゲルマニヤの別室で、盛に彼が為に祝宴を開いてくれたのだから、予が喜悦は実に此上もなかつた。ロイマン先生は主客杯を挙ぐる間に、独有が六年の精学と勤勉とを口を極めて賞賛し、其上彼が「ドクトル」論文として提出した瑜伽論梵本出版に関する顛末や、彼が積年の苦学薀蓄を親切に記した刷物を来会の諸客に配布しまた広く之を欧州学壇の同僚に配布した。斯かる厚意は固より特別の異例であつて、門弟の「ドクトル」取得を賀する厚き此の如きは何処にも比類のないことであつた。一体ロイマン翁は極めて勉強家で、学風も極めて綿密の人であり軽々しく人に許さぬ側の人であるから、大抵の人はとても翁の賞讃に値すると云ふことは出来ぬ。所が独有に対しては殆ど全幅の同情と称賛を捧げて惜まぬのは、全く彼が苦学と励精が非凡の為である。予は固より独有の人物其物に対して親友として衷心の尊敬を捧げて居るので、学位とか称号とか階級とかには何の意味も持って居らぬ、が、吾々が仏教聖語の為には父とも言ふべきロイマン先生が非常に喜ばれて、何とも云へぬ満悦の色を浮べて愛弟の学位取得を祝せらるるのを見ると、実に嬉しくてたまらぬ。彼が学位は欧州第一流の学者が至愛至敬の記念として贈つた勲章と見てよかろう。篤学温厚の老先生が賞賛と同情とを結晶せしめて衷心の喜悦から贈つた記念品と見てよかろう。茲に於いてか、予はこの特別の意味で盛に彼が学位の取得を賀するのだ。かくて予は嬉しくてたまらぬので、衰弱した心身に害のあるのも委細かまわず、矢鱈にミユンヒネル麦酒の大杯を満引し、数本のライン酒をも打ち倒した。..今日、独有の新に帰朝するのは丁度充実精鋭を以つて威風世界を動かして居る東郷艦隊が英国あたりで新造された一代工鉄艦を迎へるようなものだろう。泥舟破れ船の予も、其中には栄誉ある艦籍の末汎に列りて、閉塞船位の御用を勤める時も、何時かは来るだろう。(渡辺海旭「独有(荻原雲来氏)の帰郷を送る」明治38年『荻原雲来文集』昭和47年所収、pp.88-90,〔 〕内私の補足)

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