仏教余話

その47
さて、柔らかめの話題の次には、幾分固めのテーマを論じてみよう。先に見た立川博士の言には、「仏教タントリズムにおいて重要なマンダラは、大宇宙と小宇宙との合一を体得するヨーガの道具であった。」という1文があった。この「大宇宙と小宇宙との合一」とは、古い定番的表現では「梵我一如」である。かなり人口に膾炙した言葉のように思ったので、ネットで検索してみた。ウイキペディアには、
 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想、古代インドにおける究極の悟りとされる、不二一元論ともいう。
と説明されていた。大筋で間違ってはいない。だが、ネットを追ううちに驚いたことがある。「梵我一如」と仏教との関わりを尋ねる項目があり、その答えは「ない」というものであった。立川博士の指摘によっても、関係があることは、確実である。博士は、こういう言い方はしないが、はっきり、仏教のヒンドゥー化が起こったのである。証拠として、別な研究者の言も挙げておこう。


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