仏教余話

その48
金倉圓照博士は、インド思想全般に詳しい定評のある学者である。金倉博士は、こう述べているのである。
 タントラ仏教は、実際には「仏教のインド教」Buddhist Hinduism、或は「仏教の衣をつけたインド教」と称すべきだという〔ベルギーの著名な学者〕プーサンの批評は一往肯かれる。(金倉圓照『インド哲学史』1979,p.196、〔 〕内は私の補足)
さらに、もっと昔の先学、日本の梵語学の泰斗、荻原雲来博士は、こう断言する。
 秘密教は爾後斬時腐敗せる迷信に陥り、印度教(Hinduism)と混合し、堕落に堕落を重ね、仏陀施教の本意を距る雲泥の差を生ぜり、斯かる状態に及んでは是れ已に仏教と名づけんよりは一種の印度教と名くるを適当とす。(荻原雲来『印度の仏教』序の日付は、大正3年、p.21)
もう1つ、密教と「梵我一如」の理論構造が酷似していることを示す文献を提示してみよう。まず、近代の学者の言を紹介しておこう。松長有慶氏は、こう解説している。
 〔密教の2系統の〕いずれも基本的にはヨーガ(瑜伽)の実修によって、ミクロである行者がマクロである本尊と一体化するのが最終目的であることはいうまでもない。(松長有慶「序 忿怒の仏が放つ宇宙エネルギー 父タントラと成就法集成」『インド後期密教』上2006所収、p.8、〔 〕内私の補足)
次に大分昔の学僧の説明を見てみよう。それは、鎌倉時代の著名な学僧、凝然(1240-1321)の著した『八宗綱要』である。文字通り、8つの代表的宗派の教理・歴史などを綴った名著である。その真言宗、即ち密教について、凝然はこう述べている。
 一切の諸法皆是れ大日にして、真如は即ち我が身、仏法は即ち吾が体なり。(鎌田茂雄『八宗綱要 仏教を真によく知るための本 凝然大徳』昭和56年,p.428所収のテキスト)
「大宇宙と小宇宙との合一」という理論構造は、ここでも、見事に説かれている。

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